ノーベル賞受賞者・坂口志文氏、若き日の挑戦と米国奨学金獲得の軌跡
2025年のノーベル生理学・医学賞を受賞した大阪大学の坂口志文特別栄誉教授が、若手研究者時代に米国での研究奨学金を獲得した申請書の背景と、逆境の中での研究人生を語った。長年の親交がある京都大学の西川伸一名誉教授との対談で、制御性T細胞発見への道のりが明らかになった。
西川伸一名誉教授の問いかけ
西川伸一氏は、現代の研究環境について次のように指摘する。「私たちの時代はオーソドックスな教育を受けていませんでした。現在の若い世代においても、上位に立つ権威ある指導者がいて、その階段を上っていくという従来の道とは異なるアプローチで、優れた研究を成し遂げている人々が存在します。この多様性が極めて重要であると考え、坂口さんが若い時代をどのように過ごしたのか、詳しく語っていただきたいと思います」と述べ、対談の口火を切った。
坂口氏の研究人生の始まり
坂口志文氏は、京都大学医学部を卒業後、直ちに大学院に進学し、病理学研究室に所属した。当時を振り返り、「自己免疫疾患に強い関心を抱いていましたが、当時の病理学領域で取り組まれていた研究内容には、あまり面白みを感じることができませんでした。もやもやとした気持ちを抱えていた時期に、愛知県がんセンター(名古屋市)の西塚泰章氏らが発表した論文を読み、深く興味を引かれたのです」と語る。
その論文は、マウスの胸腺(免疫細胞を生成する組織)を除去すると疾病が発生する現象について、自己免疫反応との関連性を探る内容であった。坂口氏は西塚氏を直接訪ねて議論を交わし、「非常に興味深い」と感じたことから、大学院を中途退学し、名古屋へと移住する決断を下した。
経済的困難と研究への情熱
しかし、この決断には経済的なリスクが伴った。学部卒業後2年以内に大学院を退学すると、奨学金の返済が即座に開始される規則があった。坂口氏は「あと半年待てば、返済開始時期を延期できたのですが、当時はそのことを知りませんでした」と当時を振り返る。
名古屋での生活は、平日は愛知県がんセンターで無給の研究生として研究に従事し、土日は病院でのアルバイトで生計を立てるという厳しいものだった。臨床経験が乏しかったため、名古屋移住前の夏休みに京都の病院で基礎を学び、移住後も救急処置などの業務を経験。「これなら対応できる」と自信を持ってから、比較的負担の少ない病院を紹介してもらったという。
技術習得と研究の転機
愛知県がんセンターを選んだ理由は、もう一つあった。米国から帰国した高橋利忠氏が、様々な細胞表面分子に対する抗体を作製する技術を保有していたのだ。坂口氏は「抗体を用いてリンパ球を分離する技術を習得することができ、西塚氏の研究の流れと高橋氏の技術を融合させることで、しっかりとした研究成果に結びつけることができました」と説明する。
画期的な論文発表と京都大学での再出発
西川氏は、1982年に発表された論文について「当時、私たちが憧れていた『Journal of Experimental Medicine』(米実験医学誌)に掲載されました。正常な免疫細胞の中に、確実に制御性T細胞(Tレグ)が存在することを実証した画期的な内容でした」と評価する。
その後、坂口氏は京都大学に戻り学位を取得。当時の京都大学は、米国で活躍していた免疫学者・石坂公成氏を教授として招き研究室を設立していたが、石坂氏の来日は年に1回程度に限られていた。西川氏は「そこには、少し変わった経歴を持つ研究者たちが集まり、自由な発想で何でも挑戦できる『梁山泊』のような環境が形成されていました。坂口さんもその一員として加わったのです」と語る。
坂口氏は京都での研究生活を「もう一度出直し」と表現する。研究生としての立場でありながら研究費はなく、助教授の増田徹氏(免疫学)が確保したわずかな資金や借金で凌いでいた。坂口氏は正常なT細胞を細かく分離し、特定の細胞を除去した残りを、T細胞を持たない「ヌードマウス」に移植し、自己免疫疾患の発症を調べる実験を続けた。
研究の核心と米国への道
西川氏はこの実験の意義を「従来のマウスの胸腺を除去する実験とは全く異なるアプローチです。免疫細胞の操作のみによって、正常なT細胞の中に自己を攻撃する細胞と、それを抑制する細胞が通常存在することを初めて証明しました」と強調する。
坂口氏は学位取得後、米国での研究に挑戦する道を選ぶ。若手時代に獲得した米国研究奨学金が、この国際的な研究活動の基盤となったのである。申請書には、制御性T細胞研究への情熱と、逆境を乗り越えてきた経験が込められており、それが評価された背景には、一貫した研究への姿勢と革新的な視点があった。
対談を通じて、坂口氏の研究人生は、経済的困難や環境の変化に直面しながらも、常に新たな知見を求めて前進し続けた軌跡であることが浮き彫りになった。制御性T細胞の発見は、免疫学の長年の謎を解明するだけでなく、多くの自己免疫疾患治療への応用可能性を拓く画期的な成果として、今日の医学界に大きな影響を与えている。



