ケイスケヨシダ、東京・神宮前に初の旗艦店をオープン
東京発のファッションブランド「ケイスケヨシダ」が4月17日、東京・神宮前に初の直営旗艦店をオープンする。2015年のブランド設立以来、取引先を拡大し認知度を高めてきた同ブランドが、新たな拠点を構える。デザイナーの吉田圭佑(35歳)は、「単に服を販売する場ではなく、ブランドの哲学や世界観を体感できる交流の場にしたい」と意気込みを語っている。
いじめと創作欲:思春期の原体験
吉田圭佑は1991年、東京都北区生まれ。小学校から立教に進学し、中学1年の終わり頃にファッションに目覚めた。当時は運動も勉強も得意ではなく、学校では目立たない存在だったが、「目立ちたい」という強い衝動を抱えていた。吉田は「おしゃれになれば自分を変えられるのではないかと考えた。当時はおしゃれな同級生もいなかったから」と回想する。
人気ストリートブランドのステューシーのTシャツが数千円で購入できた時代。俳優のオダギリジョーに憧れ、頭髪を半分だけ丸刈りにして登校したところ、「調子に乗るな」といじめられた経験もある。しかし、それでもファッションへの情熱は消えず、中学3年時に池袋の大型書店で手に取ったファッション専門誌で、パリやミラノのランウェールックを目撃。「服は単に着るものではなく、世界観そのものを創造するものだ」と衝撃を受け、デザイナーを志すようになった。
文学とファッションの交差点
大学は内部進学で立教大学文学部文芸思想専修に進んだ。ゼミでは夏目漱石やガルシア・マルケスを研究し、文学とファッションを結びつけて論じたことで好成績を収め、同級生からも評価された。この経験は、後にブランドを立ち上げる吉田にとって決定的なものとなった。何かを創造することと、それを他者に伝えることは別の行為であり、両方を自分で引き受ける感覚がこの時期に培われたという。
また、高校卒業後すぐに専門教育を受けなかった時間が、創作欲の源泉にもなった。気になるデザイナーに直接会いに行き、服を見て、購入し、考察を重ねる過程が、独自の視点を形成していった。その後、大学と並行してデザイナー養成機関「ここのがっこう」に通い、卒業後はエスモードジャポンA.M.I.で専門知識と技術を習得した。
内面から社会へ:作風の変遷
ブランド設立初期のケイスケヨシダは、思春期の吉田自身の内面と向き合った、極めて内省的な作風が特徴だった。当時は同世代のデザイナーと比べて技術が未熟で、「唯一確かなものは自分の内面しかなかった」という理由から、暗い雰囲気や物憂げなメンズ作品が多かった。
しかし、私小説のような切実さを帯びたコレクションは次第に変化していく。制作の精度が向上するにつれ、内面の吐露は後景に退き、代わって「時代や社会を反映したデザイン」が前面に出てきた。吉田は「転換は2017年頃に意識として形になり、2020年頃には、自分の作家性と服そのものが一致するようになった」と振り返る。学生時代に憧れていたデザイナーのように、時代を切り取る作風へと進化し、製品の中心も女性服に移行した。
旗艦店と今後の展望
変化の象徴となったのは、母校の立教大学で発表した2024年秋冬シーズンのショーだ。学生時代に「ここがランウェーだったら」と思っていた場所で開催され、ドレープやプリーツで成熟した女性像を描いたコレクションを披露。これにより、自分を表現する段階に一つの終止符を打った。
直後には、メゾン・ミハラヤスヒロのデザイナー三原康裕が率いる「三原商店」の社内ブランドとして参画。三原から「いずれパリへ発表の場を移そう。一緒にやろう」と声をかけられたという。最新の2026年秋冬コレクションでは、ミリタリー風ながらウエストを絞ってフェミニンな印象を与えるジャケットや、背部がケープ状になったコートなど、クールでありながら品のあるデザインが際立つ。カシミヤ100%のコートなど素材もグレードアップしたが、「価格は現実的な範囲に抑えることができた」としている。
神宮前にオープンする旗艦店は、ブランドの世界観を体感できる空間として、ファッション愛好家や関係者から注目を集めている。吉田圭佑の軌跡は、いじめや思春期の悩みを乗り越え、文学とファッションを融合させながら、独自のクリエイティビティを確立してきた過程を物語っている。



