十三歳になった美貴子は、神明高等女学校に入学した。小学校の成績が五本の指に入らなければ受験させてもらうことができないと言われるほど、秀才の子女が集まる学校だった。美貴子自身も懸命に勉強したが、母の応援の力も強かった。母は自ら問題集を作り、毎晩遅くまで美貴子に勉強を教えた。合格がわかったとき、父も母もたいそう喜んでくれた。
赤煉瓦の校舎と通学路での決まり
神明高女は赤煉瓦の校舎で、光風台の家から向かう通学路の途中には、大連神社があった。登下校中は、大連神社に向かって深く最敬礼するのが決まりだったが、毎週教会に通っている美貴子は、将来、クリスチャンになるのだから、と誰も見ていないときは、神社を素通りした。校舎内は白壁で、窓の縁、腰のあたりの位置まで濃緑色のペンキが塗られていた。美貴子は校舎のなかを歩くたび、深い森のなかを歩いているような気持ちになった。
校則と教育方針
校則は聡明・堅実・温雅・親切・健康。良妻賢母主義の教育ではなく、あくまで男女同権、弁護士も科学者も生まれるような学び舎を作ろうと、教師たちは奮闘していた。大連では、最先端の教育を受けられる学校といってよかった。勉強には特に厳しかったが、スポーツも盛んな学校だった。
水泳と学校行事で快活に
美貴子は母の方針で、ピアノと声楽を学んでいたので音楽が得意だったが、運動はどちらかといえば苦手なほうだった。ただ神明高女には専用プールがあり、六月のテストが終わると、夏には毎朝、二時間の授業のあとに、水泳の時間があった。この時間のおかげで金槌だった美貴子もなんとか泳げるようになり、泳ぐことが大好きになった。
学校行事も盛んだった。春は星ヶ浦でのお花見、夏は夏家河子での水泳、秋は金州までの大遠足、冬は鏡ヶ池や、学校のグラウンドに特設したリンクでのスケート……。運動会では、「マズルカのステップ」や「ファウスト」に合わせて、生徒皆で考えたオリジナルのダンスを踊った。友だちもたくさんできた。この学校に通うようになってから、美貴子は少しずつ快活な少女になっていった。