人気ゲーム『Fate』シリーズなどで知られるゲーム会社「TYPE―MOON」のシナリオライター、奈須きのこさん(52)が、小説『魔法使いの夜』(全3巻、星海社)の刊行をスタートさせた。2012年に発売したゲームを小説として仕立て直したもので、どこか懐かしい青春や迫力あるバトルが、文字だけの世界で鮮やかに浮かび上がる。
紙の本への思いと新たな挑戦
奈須さんは、長旅の途中で駅の売店で偶然買った小説に夢中で読んだ経験を、創作者としての原点と語る。本はカバンにしまっても、物語の余韻は長く残ったという。30年以上がたち、電子書籍も普及する今、「紙の本を買う人は、宝物みたいに手元で大事にしてくれる。豪華に作ったこのゲームなら、小説という形になっても、その役割に応えられるはず」と、小説として再び世に問う挑戦に踏み出した。
物語の舞台と登場人物
『魔法使いの夜』(『まほよ』)は、現代を生きる魔法使いの見習いである蒼崎青子と、その指導役を務める魔女・久遠寺有珠、転入生の静希草十郎の高校生3人が織りなす同居生活と、非日常の戦いを描く。元々は20代の頃に書いた長編小説で、2012年にテキストを読むことに主眼を置いたノベルゲームとして発売された。
新たな小説版では、媒体の差を考慮した細かな調整が施され、ゲームの豊富な絵素材に加え、原画を担当したこやまひろかずさんが描き下ろした新規イラストも収録される。物語の主人公3人は、意志の強さを見せる青子、冷静だが頑固な有珠、山育ちでどこか抜けている草十郎と、それぞれ異なる個性を持つ。奈須さんは「大人になって振り返ってみたら、あの3年間は奇跡のようだったね、っていう生活」を切り取ってみたかったと語る。
影響を受けた作品と時代設定
少女小説ブームを牽引した作家、氷室冴子さんの代表作『雑居時代』からも影響を受けたという。性格がばらばらの男女3人が共同生活を送る同作に触れ、「読み終わったときに、もっと見たいけど、この雑居はもう終わってるんだよなと思って。物語の完結がイコールその登場人物たちの青春の終わりっていうのが、すごく切なかった。そんな『気持ちのいい悲しさ』を自分でも出したかったのかな」と振り返る。
どこかノスタルジックな時代設定は、学生時代を過ごした80年代末を想定している。「街にコンビニが出来たら喜ぶぐらい」の子ども時代と、バブル崩壊までの間にあった「どんどん豊かになるという希望だけはあった」時代を思い描いていた。劇中では、バブル期の負の遺産として廃虚と化した遊園地が不気味な存在感を示し、「罪深くはあるけど、その先に現代があるという見方が漏れ出たのが『まほよ』だったんでしょう」と語る。
小説だからこそ広がる想像力
ゲーム版が発売された当時、ノベルゲームの常識を覆す斬新な演出は話題を呼んだ。複数の静止画を緻密に組み合わせ、立体的な空間を表現し、日常会話からバトルシーンまで、まるでキャラクターが動いているかのように見えた。この後に登場するゲームでは3DCGを駆使した映画的な手法が主流になり、『まほよ』の演出の後継者はついに現れなかった。「時代のあだ花というか、ノベルゲーム文化の極北だった」と自負を込めて語る。
小説の形になると、挿絵以外の絵も音楽もなく、文字だけでの勝負になる。そのぶん、読者一人ひとりの想像力を強くかき立てる。幻想的な魔術を数多く展開する有珠のシーンでは、「ゲームだとビジュアルの正解を出してしまうけど、小説は読者それぞれの正解を探れる。秋の夜長に一人で読んでワクワクしてもらえるんじゃないかな」と話す。
シナリオライターとしての矜持
小説家志望だった若者が生み出した小さな物語は、TYPE―MOONの壮大なゲーム世界に発展し、人気を集めた。『空の境界』や『DDD』などを手掛けた小説家としての顔もあるが、あくまでシナリオライターを自認する。『まほよ』のゲーム版発売後は、スマートフォンゲーム『Fate/Grand Order』の大ヒットや『月姫』のリメイク版など、ゲームに専念してきた。
久しぶりの小説の仕事となり、かつて集めた占星術の資料を最近のものと見比べたという。「資料を読み込んでなんとか血肉にする。背伸びして小説を書くのが性に合ってるんです。責任を全て背負う代わりに、ちょっと自分に厳しくなれるというのが小説だと思っています」と力を込める。小説という形式に改めて触れたからこそ、「その面白さをまたいつか味わうためにも、今は、幸運にも得られているゲームの仕事と戦っていかないといけない」とシナリオライターとしての矜持をのぞかせた。