静岡県立美術館館長の木下直之さんが著書『ゾウに乗る』(東京大学出版会・3190円)を出版した。本書は、昭和25~29年に日本橋高島屋の屋上で子供たちを背に乗せて楽しませたアジアゾウの高子(愛称・たかちゃん)を起点に、日本人とゾウの関わりを1500年の射程で描いたものだ。高子の視点で綴られた冒頭の一節「私はゾウである。名前はまだないなあ」から、読者をゾウと日本人の歴史へと誘う。
見世物から現代の動物園まで
木下さんは学芸員時代の出世作『美術という見世物』(平成5年)以来、過去の素材を手掛かりに既存の枠を外し、当時の視座から現代のものの見方や歴史を捉え直してきた。本書では、日本で動物園より先にゾウとの出会いを提供した見世物やサーカス、仏画・仏像に描かれた想像上のゾウ、中近世の舶来ゾウ、山王祭のゾウの山車、佐藤製薬「サトちゃん」の謎など、多岐にわたるテーマを扱う。
調査を進めるうちに「知らなかった世界が芋づる式にどんどん見えてきて、沼にはまった」と木下さんは振り返る。昨年秋には「『ゾウを食べる』テーマにのめりこんだ」といい、6世紀後半の古墳出土品から現代の動物園のゾウ飼育に至るまで、その視野は広がった。
ゾウから見える日本社会
戦時中の「猛獣処分」を経て動物園の開園ラッシュに沸く1950年代、ゾウは「平和回復を象徴する動物」として日本風の名が与えられ、希望が託された。本書で描かれるのは、ゾウを通して見えてくる近現代の日本社会そのものだ。かつての劣悪な飼育環境についても「現代の観点ではあり得ないが、それを必要とした時代を考えるべき」と木下さんは向き合う。
本書からこぼれ落ちた話はまだ20項目あるといい、特に衝撃的だったのは昭和40年代、動物園から個人に引き取られ、北海道、静岡を経て南米で死んだ「花子」の話だという。木下さんは早くも増補版の執筆に意欲的で、「増は『ゾウ』、補は『歩』がいいかな」と語る。
著者プロフィール
木下直之さんは昭和29年、静岡県生まれ。東京大名誉教授で、静岡県立美術館館長を務める。平成27年には紫綬褒章を受章した。本書は作家・荒俣宏さんがBunkamuraドゥマゴ文学賞に選出している。