スモーキングルーム第314回:老婦人と煙、20年ぶりのホテルで思い出を探す
スモーキングルーム第314回:老婦人と煙の対話

黒いワンピースを着た痩せた老婦人が、玄関ホールの大階段から続く格式の高い階をゆっくりと歩いていた。赤い絨毯敷きの廊下に並ぶ、黄金色のプレートがかけられた白い客室扉をひとつひとつ眺めては、またゆるやかに歩を運ぶ。

「こんにちは、マダム」と煙が静かに声をかけると、老婦人が足を止めた。老婦人は黒いトーク帽を被り、ヴェールで顔を覆っていた。黒く透けるチュールレースのヴェールごしに、微かに濁った青灰色の瞳と白い髪が見えた。

老婦人の思い出

「ちょっと思い出を探していたの。一般客室の者がこの階を歩くのはいけないことかしら?」と老婦人が尋ねると、煙は「もちろん、まったく問題はございません。よろしければご案内致しましょうか」と答えたが、老婦人はゆっくりと首を横に振った。

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「もう随分と前だけど、新婚旅行でこのホテルに泊まって、それから結婚記念日はいつもこの階に部屋を取ってもらっていたの。でも、だんだん情勢も不穏になって、戦争が始まってしまって。ここを歩くのは二十年ぶり」

老婦人は長く延びた廊下を、目を細めて見つめ、「先月、夫が亡くなったの」と呟く。煙が「お悔やみ申し上げます」と片手を黒いタキシードの胸に当てると、老婦人は「お若い方」と微笑んだ。

ホテルの落とし物

「あなたは知らないかもしれないけれど、ここのホテルはすごいのよ。落としものが見つからなかったためしはないのですって。よく夫が言っていたわ。そんな夫も、泊まった時にカフスボタンを片方なくしてしまってね。当時、流行していた建築デザイナーの工房のものだったから、きっと誰かがポケットに入れてしまっただろうと諦めていたの。次にホテルに泊まれるのは一年後だったしね」

老婦人は歩きながら喋り、最奥の「天使の部屋」の前で足を止めた。「一年後、なんとはなしにホテルの方に落としものをしたことを話したの。カフスボタンの特徴を訊かれて話したら『お客様の遺失物はこちらでしょうか』とすぐにだしてくれたのよ。あなたよりずっと年上の、でも物腰はとても似た方だったわ」

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