小竹向原が再開発されない理由:駅開設の遅れと住民の力
小竹向原が再開発されない理由:駅開設の遅れと住民の力

小竹向原はなぜ再開発されないのだろうか?その背景には、駅の開設が遅れたことや地下鉄駅しかないことが影響している。さらに、住民が自らの住環境を守るために積極的に行動した結果、再開発が進まなかったという側面もある。本記事では、小竹向原エリアの再開発が行われない理由を詳しく解説する。

駅開設の遅れと地下鉄駅のみの影響

小竹向原駅が開業したのは1983年と比較的遅く、その後の再開発の波に乗り遅れた。また、同駅は地下鉄のみで、JR線などの他の鉄道路線が通っていないため、アクセスの面で不利であり、大規模な再開発の対象となりにくかった。

放射第36号線をめぐる紛糾

一方、住民の中には渋滞問題を背景に放射第36号線の早期実現を望む声もあり、計画は紛糾していた。さらにオイルショック後の都の財政難などから一時凍結状態に。1975年に同時施工方針が変更され、地下鉄事業を先行することになった。そして1983年に小竹向原駅が開業した。

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住民が住環境を守った

放射第36号線については1980年、「放射35・36号道路対策住民協議会」のメンバーが別途設立した「放射36号道路対策連盟」が、それまでの絶対反対から、条件付きで建設の話し合いに応じると方針を転換。その大筋を都が取り入れる内容で合意に向かい、翌1981年に事業協定を結んでようやく具現化した。

「緑の町造り計画」の実施

協定締結後も都と住民の話し合いは続き、100回以上の協議を経て「緑の町造り計画」がまとめられた。その結果、小竹地区の600mについては車道と歩道の間に防音壁を立て、それを植物で覆い、歩道や駅はレンガ調で統一された。民家側にもグリーンベルトが作られた。歩道は楽しく歩けるように蛇行しており、住民らによって「さぶろく四季の道」の愛称がつけられている。

このように、住民参加型の道路計画が実現したことで、大規模な再開発ではなく、現状の住環境を維持しながら整備が進められた。小竹向原が再開発されない理由は、単に駅の開設が遅れただけでなく、住民が主体的に街づくりに関わった結果であると言える。

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