織田幹雄の精神、今も息づく 広島のカタール会がアジア大会で交流続ける
織田幹雄の精神、今も息づく 広島のカタール会が交流

1928年のアムステルダム五輪三段跳びで日本人初の金メダルに輝いた織田幹雄さん(1905~98年)は、1951年3月の日記に短歌を記した。「相競う 若き人々 集い来て アジヤ一つに 結ばれにけり」。陸上競技監督として参加した第1回アジア大会の開催地インドからの帰国途中に詠んだものだ。

反日感情を乗り越えた交流

第2次世界大戦から間もない当時、日本参加に反対する国もあった。織田さんはインド到着後、選手を連れて反日感情が強い国の宿舎を訪れて交流を重ね、スタンドでは他国選手の間に入って声援を送った。1954年の第2回マニラ大会でも他国の指導者らと関係を紡いだ。友好的な振る舞いは日本の国際舞台復帰への一歩となり、第3回東京大会につながる礎を築いた。

故郷・広島での「一館一国運動」

織田さんも招致に尽力した故郷・広島での第12回大会(1994年)では、公民館が担当国・地域の選手らをもてなす「一館一国運動」が展開された。広島市安佐北区の住民は「カタール会」を設立し、今も交流を続ける。今回の愛知・名古屋大会にも駆けつけ、サッカーのカタール代表を応援した。久保田清信会長(78)は「国を超えて結ばれた絆を育てていきたい」と語る。

長年にわたる同会の活動は、織田さんの精神が今も息づく証しだろう。4年後の次回大会の開催地はカタール。中東情勢が緊迫化する中、「アジアは一つ」という思いが受け継がれていくことを願う。(広島総局長 神谷次郎)