蘭語の図面依頼と彦根の謎めいた事件
鉄砲洲の店で、梨春は佐吉から手渡された一枚の紙を長い間見詰めていた。ようやく観念して顔を上げると、彼女はため息混じりに尋ねた。「これは、なんと書かれているのか……。佐吉さん、服部様の御用向きを細かに聞いておられませんか」
佐吉は鼻頭を人差し指で弾きながら、頼りなげに答えた。「蘭語みてぇなことをおっしゃって、それを図面に起こしてほしいとかなんとか。うまく聞き取れねンで、紙に書いてもらったんですけどね。旦那の字は、あっしにも読めねぇことがしょっちゅうで」
無尽燈とリュクトポムプの関連性
「蘭語、ですか」と梨春が繰り返すと、佐吉は続けた。「おそらくは、彦根の者からの訴えに絡んだことだと思うんですが。なんとかポンピの無人がどうこう、と」
梨春の頭の中で、ピースがはまり始める。「彦根……先だって話したことに係りがあるとすれば、無尽燈でしょうか」
佐吉は首を傾げるだけだったが、梨春は推理を進めた。ポンピというのはおそらく、先日「窮理」で話題になったリュクトポムプのことだろう。つまりリュクトポムプを用いた無尽燈の仕組みを描いてほしいという依頼ではないのか。
「なんとなくですが、承知しました。私のわかる範囲でやってみましょう」と梨春が告げると、佐吉は大きく息を吐いた。「ありがてぇ。どうにか通じた」
惣十郎の焦りと老婆の運命
佐吉は惣十郎の最近の様子を語り始めた。「旦那はどうもこのところ、せっかちで参りますよ。彦根の件を早ぇとこ証してぇようで。いつにも増して端折るからわからねンだ」
入牢しているのが五十に近い老婆だというから、おそらく命の尽きる前に確かなところをつまびらかにせんと、逸っているのだろう。彼女の造ったものが武器ではないという確信が、惣十郎の中にはきっとあるのだ。
奇妙な火事の記憶と牢屋敷の謎
突然、佐吉は火事の話をはじめた。「今年の弥生でしたか、柳原土手から火が出て。久右衛門町から大和町から、いくつもの町を焼いた火事がありましたでしょう。伝馬町まで迫ったもんで、てっきりあっしは牢屋敷も焼けたと思ってたんですけど、あすこだけ無事だったんですよね。まわりは灰になったってぇのに」
そして彼は続ける。「命が助かったのだから、救いてぇと旦那は思ってっかもしれねぇですね。そら、去年だったか、やっぱり牢屋敷で出火して、罪人たちが切り放しになりましたけど、お粂はそんときもきちんと戻ってきたんじゃねぇかな」
梨春は蘭語の図面と彦根の事件、そして奇妙な火事の記憶が複雑に絡み合う謎を前に、深く考え込んだ。惣十郎の焦りと老婆の運命、そして無尽燈の真実が、江戸の町に隠された秘密を解き明かす鍵となるのかもしれない。



