江戸の牢獄で響く悲痛な叫び声
お粂が後ろに控えた牢屋同心に向かって放った声は、惣十郎にはむやみと悲痛に響いた。その叫び声は牢獄の重い空気を切り裂くように鋭く、周囲の緊張を一層高めるものだった。
逆鱗に触れた瞬間
「まだお調べのさなかじゃ。勝手を言うな」と牢屋同心がどやしても、お粂は髪を振り乱して「牢に戻せ」と叫び続ける。いったい何がお粂の逆鱗に触れたのか、その理由は不明のままだった。こうなってはもはや、話を続けることは叶わぬだろうと、惣十郎は内心で悟る。
「もういいだろうよ、今日のところは」と崎岡がうんざりした顔で耳打ちしてきた。惣十郎は不承不承頷き、牢屋同心に「戻してやっつくんな」と告げた。これを聞いて安堵したのか、はたまた叫び疲れたものか、氷の溶けるようにお粂はぐったりと床に体を預けた。
不可解な目の状態
すぐに下男がお粂の脇を抱えて立ち上がらせ、穿鑿所から引き出す。彼女の姿が見えなくなってから、惣十郎は牢屋同心に寄って、お粂の目がいつから濁っていたか確かめた。
「牢に送られてきたときから、あのざまでしたよ。拷問で片目になったわけじゃありませんぜ」と、牢屋同心は自らの潔白を証すように訴えただけだった。この証言が、新たな疑問を生み出すことになる。
図面作成の可能性を巡る議論
牢屋敷を出て、奉行所に戻る途次、惣十郎は頭に灯った不可解を整理するため、声に出した。「あの目で、図面を引くってなぁどうだろうね」
「どっちかの目が開いてりゃ、図面くれぇ描けんだろ」と隣を歩く崎岡がおざなりに返す。しかし惣十郎は納得せず、「いや、片目だと、遠近もうまく摑めねぇだろ。字でも図でも歪むんじゃねぇか」と反論した。
崎岡のからかいと真実の断片
「ってこたぁ、お前はいつも捕物書を片目で書いてっから、あんなひでぇ字になるんだな」と崎岡は、してやったりと言わんばかりに大口を開けて笑っている。「馬鹿」という言葉がそのまま人になったような彼の姿を打ち見て、惣十郎は口をつぐんだ。
「まぁ、俺は弓の習練のとき、的を片目で見てるけどな」とこちらが話をやめたのに、構わず崎岡は続ける。「的に対して横向きになるからよ、右目と左目で間合いが違ってくるだろ。紛らわしいから左目を瞑ってたぜ」
新たな調査方針の決定
そういえば、多津が針に糸を通すときも、よく片目を瞑っていた気がする。書については、詳しい者に心当たりがある。近く訪うてみるか、と惣十郎は密かに思い決める。
――悠木様のことがあってから、あんまり近寄らねぇようにしてたんだがな、仕方がねぇ。思った刹那、胸の奥のほうがにわかに華やいだのを、惣十郎は罪深く思う。事件の核心に迫るため、避けてきた人物に再び接触する決意が固まる瞬間だった。



