築113年の学生寮で育まれた作家の原点
2025年に日本SF大賞特別賞を受賞した作家の宮西建礼さんは、かつて京都大学吉田寮で過ごした日々を振り返る。築113年を数えるこの歴史的な学生寮では、2026年3月末に現棟からの一時退去が迫っている。大学と寮との訴訟を経て和解が成立したものの、今後行われる耐震工事の詳細は未だ明らかではなく、寮の将来は不透明な状況が続いている。
月2500円の自由な空間
宮西さんが京大に入学した当初は、大阪の実家から片道1時間半をかけて電車通学していた。四条河原町で降り、最後は自転車で大学まで向かう毎日に疲れを感じていたという。実家を離れて京都市内で自由に暮らしたいと考えていた宮西さんにとって、光熱水費込みで月額わずか2500円という吉田寮は理想的な選択だった。
「敬語非推奨で上下関係がなく、同期という意識も薄かった」と宮西さんは当時の寮の雰囲気を語る。数十人の新入寮生と共に入寮したが、吉田寮独特の自由な空気がすぐに馴染みやすい環境を作り出していた。
「茶室」から「ゲーム部屋」へ
入寮当初、宮西さんは「茶室」と呼ばれる大きな部屋で生活を始めた。戦前からの古本が大量に保管された図書室のような空間で、新入寮生たちが共に過ごす場所だった。中庭に面して風通しが良く涼しいこの部屋は居心地が良すぎて、本来なら1、2カ月で個室に移るはずが、秋までそこに留まっていたという。
秋からは北寮31号室に移り住んだ。現存する3棟のうち最も北側に位置する棟の2階中央付近にあるこの部屋では、自由な模様替えが許可されていたが、宮西さんはこたつと衣装ケース、教科書だけを置いた質素な生活を送っていた。
創作の源泉となった「ゲーム部屋」
特に印象的だったのは、1980年代からゲーム機が積み上げられていた「ゲーム部屋」の存在だ。ブラウン管モニターを使い、『エースコンバット』などのシューティングゲームで遊ぶ時間が、後の創作活動に影響を与えた。食事はコンビニのパスタと学食、ビタミン剤で済ませるなど、授業にはほとんど出席しない日々が続いたが、その自由さが作家としての視点を養う土壌となった。
「学生たちが社会参画を実践できる場所だった」と宮西さんは吉田寮を評する。玄関に掲げられた「京都大学吉田寮」の看板は、多くの学生にとって単なる居住空間ではなく、自己形成の場として機能していた。
不透明な未来と受け継がれる記憶
日本最古の学生寮として知られる京大吉田寮は、現在3D映像で内部が記録されている。廊下の古い落書きから当時の学生生活の息遣いが感じられるが、耐震工事のため一時退去を余儀なくされる現状は、歴史的建造物の保存と学生の生活環境の両立という難しい課題を浮き彫りにしている。
宮西建礼さんが作家として成長するきっかけとなったこの寮は、単に安価な住居というだけでなく、自由な発想と創造性を育む独自の文化を有していた。一時退去後も、その精神がどのように受け継がれていくのかが注目される。



