草創期のマイクロソフトで基本ソフト(OS)を開発するかどうかを巡り、「絶対にやるべきだ」と叫んだ西和彦。当時はまだパソコンの黎明期だったが、西はいずれOSの上にワープロや計算機が載り、OSがパソコン全体のあり方を決める時が来ると考えていた。
「零戦だって作り直している」という秘策
「マイクロソフトには絶対にOSがいると思った。だから強く言った」と西は振り返る。もちろんIBMの意向通りに短期間でOSを開発するのは容易ではない。だが西には秘策があった。米国にある別の会社がパソコン用OSを開発している。その権利を買ってマイクロソフトで改良すれば、IBMの期限に間に合わせることができるはずだ――。
「(戦闘機の)零戦だって作り直している。とりあえずそれで作って、何度でも作り直せばいいじゃないか」。西の必死の説得に、ゲイツらはOSの自社開発を決断。「MS-DOS」(マイクロソフト・ディスク・オペレーション・システム)を完成させる。
MS-DOSの成功と西とゲイツの蜜月
MS-DOSはIBMのパソコンに搭載され、爆発的に普及。マイクロソフトはOSで世界標準の座を獲得する。そして、それが後の「ウィンドウズ」へと受け継がれていく。西の叫びをきっかけに、マイクロソフトは「OSの巨人」としての道のりを歩むようになった。
「僕はアップルのスマホは使わない。今、使っているのは(米国の)モトローラのスマホだから、OSはアンドロイドになる」。2025年4月に開かれたマイクロソフト設立50周年の夕食会の前、西は昔の写真を見ながら、ビル・ゲイツにそう語りかけた。「このスマホを触るたびに、なぜOSがウィンドウズじゃないのかと思う。僕がそう思うんだから、お前はもっとつらいだろうな」。西がそう続けると、ゲイツは「そうだな」と悔しそうにうなずいたという。
両者の方向性の違いとその後の火種
MS-DOSを成功させたゲイツと西は1980年代、パソコンメーカーにOSを供給することでマイクロソフトの「ソフトウェア帝国」を拡大していった。83年には西が創業したアスキーとマイクロソフトでパソコンの世界共通規格「MSX」を打ち出し、世界的に注目を集めた。2人の蜜月関係がそうした協業を支えていた。
西とゲイツは「二卵性双生児」と呼ばれるほど考え方が似ていたが、パソコンに関して一つの大きな違いがあった。西はハードとソフトの両方を組み合わせ、「理想のパソコン」を作ることに大きな関心があった。一方、ゲイツは「ソフトに集中すべきだ」という考えで、ハードには興味を示さなかった。その方向性の違いが、後に2人の関係を修復不能な状態まで悪化させることになる。火種になったのは「半導体」だった。(敬称略、小林泰明)



