奈良県吉野町の山あいにある「福西和紙本舗」で19日、10人の外国人が和紙作りを体験した。専用の道具・簀桁を揺らして水に溶け込んだ植物繊維をすくい取り、層を重ねていった。
米ワシントン州から訪れたアンドレア・カペイン・サンダーソン(52)は「自然の素材に手で触れて紙にする工程に深く感じ入った。デジタル中心の時代だからこそ、形あるものとして次世代に残せる紙は大切ですね」と語った。
吉野に伝わる紙すきの伝説と宇陀紙の系譜
同社は江戸時代後期に創業。8代目の福西正行(65)は、手すき和紙の国選定保存技術保持者でもある。和紙作りの体験希望者の8割は外国人で、福西は「和紙を世界に知ってもらう良い機会」と丁寧に手ほどきしている。
吉野には飛鳥時代、政争から逃れた大海人皇子(後の天武天皇)をかくまったお礼に、住民が皇子から紙すきの技術を教わったとの伝説が残る。その系譜にある福西らが手がける和紙は「宇陀紙」と呼ばれる。古来の製法を忠実に守る福西が目指すのは、「正倉院に残る文書と同様に、1000年先まで残る和紙」だ。
正倉院文書の現存は「奇跡」、耐久性の鍵はアルカリ性の工程
和紙研究家の増田勝彦(84)らによると、中国などで先行した製紙技術が伝来し、飛鳥から奈良の時代にかけて手すきによる製法が広まった。和紙の最大の特長はその耐久性だ。大量生産を目指した近代の西洋紙が酸化により数十年でボロボロになって問題になったとき、和紙の強さが改めて注目された。1万点超に上る奈良時代の史料群「正倉院文書」が現存することは「奇跡」とも形容される。
耐久性の鍵は、原料の樹皮を煮て繊維をほぐす際、植物由来の灰を混ぜた工程にある。灰の溶液はアルカリ性で、酸化による紙の劣化防止につながった。現代の和紙にも同じ手法が受け継がれている。
和紙の再利用と現代への継承
今年の正倉院展で展示される宝物には、表、裏、表と3回使われた文書がある。大阪市立大名誉教授の栄原永遠男(79)(日本古代史)は「和紙が貴重で丈夫だったことを示している」とその意味を語る。
例えば、「妙妙妙妙妙……」と多数書かれたユニークな文書。栄原によると、「右京計帳」と呼ばれる租税関連の行政文書の裏面を、写経所が事務帳簿に再利用。さらに写経生が練習のため表面を再々利用したという。栄原は「書けるだけ書いて、書くところがなくなったら屏風の下張りに使うなど、最後の最後まで使われた」と当時の習わしを解説する。
律令国家を築き、仏教政策を推し進めた奈良時代には、政務や写経に大量の和紙が使われた。元奈良国立博物館館長の湯山賢一(80)は「これだけ古い時代の紙が束で残る事例は世界を見ても他にない」と指摘し、「今のようにものも機械もない時代において、ものづくりは生きる術として全身全霊をかけて行われていたのだろう」と当時の職人をたたえる。
和紙が持つ強さやあたたかみのある風合いはデザイナーの心をつかみ、ファッションやアートの素材にも使われている。福西が手がける宇陀紙は、国内外の博物館で文化財修復に活用されているほか、衣装の生地にもなった。
福西はいま、先代から口伝で教わった技を長女、安理沙(35)に託そうとしている。「昔ながらの製法を守ることに意味がある。信頼に応える紙を作り続ける。それが私の宿命です」