従来のサイバー攻撃とは一線を画す「サイバー知能戦」が、企業や組織を次々と襲っている。サイバー防衛専門家の奥野史一氏は、その驚くべき実態を解説する。もはや「情報を盗む」「金を奪う」ことが目的ではないという。
サイバー知能戦とは何か
奥野氏によれば、サイバー知能戦の核心は「勝てる判断を、相手より先に生み出す能力」だ。これは5つのプロセスから構成されるループで回る。第1に「観測」、第2に「状況判断」、第3に「意思決定」、第4に「実行」、第5に「学習」である。
特に重要なのは、AI(人工知能)がこのループを人間には到達できない速度で回す点だ。攻撃者も学習し、一度使った手口が通じなければ即座に変異させる。防御側も過去の対処から学び、次はより速く、正確に動く必要がある。
勝敗を分けるのはデータ量ではない
米陸軍戦略大学の学術誌Parametersでは、AIが戦場の膨大なデータを「凝縮」し、指揮官の判断に必要な選択肢だけを「蒸留」する枠組みをcondensation–distillation frameworkと呼んでいる。奥野氏は「勝敗を分けるのはデータ量ではない。雑味を削って“判断に効く情報”をどれだけ早く作れるかだ」と指摘する。
自分たちは相手の手の内のすべてを見通しているが、相手にはこちらの意図が見えない——この「情報の非対称性」こそがサイバー知能戦における最強の武器となる。奥野氏は「精米歩合が高いクリアな日本酒のような透明感が、情報の世界で勝敗を分ける」と例える。
NATOが実戦システムを導入
2025年3月、NATOはこの原則を実装した。Palantir Technologiesの「Maven Smart System NATO(MSS NATO)」を正式に導入し、要件定義から契約締結までわずか6カ月という異例のスピードで調達を完了させた。このAIプラットフォームは、NATO加盟国の衛星画像、諜報情報、地上センサーなど多様な情報源からデータを自動統合し、AIが分析・蒸留した結果を指揮官に即座に提示する。
従来は数百〜数千人規模のチームが行っていた戦場データの選別作業を、20〜50人程度で可能にするという。「凝縮・蒸留」は、もはや論文上の概念ではなく実戦システムとして配備される時代に入っている。
奥野氏は著書『2025-2035 サイバー空間の地政学 「見えない戦場」の現在地と未来予測』(日本実業出版社)で、こうした知能戦の全体像を詳述している。企業のセキュリティ担当者は、従来の防御策だけでは対応できない新たな脅威に備える必要がある。



