AIは「関数を書く時代」を終わらせるのか。表計算ソフトは長く、「人間が関数を書き、表を整え、グラフを作る道具」だった。ExcelでもGoogleスプレッドシートでも、使いこなすには関数やピボットテーブル、条件付き書式などの機能や操作を覚える必要があった。
しかし、CopilotとGeminiの登場によって、この前提は変わり始めている。現在の表計算AIは、SUM関数を教えるだけではない。「部署別の売り上げ推移を見たい」「異常値を探して」「この表からグラフを作って」と自然言語で指示すれば、AIがデータを読み取り、分析や可視化を支援する。
CopilotとGeminiの目指す方向
両者の目指す方向は少し異なる。CopilotはExcelを中心に、高度なデータ分析やPythonを活用した分析、Microsoft 365との連携を重視する。一方、GeminiはGoogleスプレッドシートでの数式生成やエラー修正、共同編集など、日常的な表計算作業を自然言語で支援することに力を入れている。
共通しているのは、表計算ソフトが「操作するアプリ」から「相談する相手」へ変わりつつあることだ。ユーザーはVLOOKUPやCOUNTIFSといった関数名を思い出すことよりも、「何を分析したいのか」「どんな結果を知りたいのか」をAIへ伝えることに集中できるようになる。
AIが関数を不要にするわけではない
もちろん、AIが関数を不要にするわけではない。AIが作成した数式や分析結果を検証するには、表計算の基本的な知識は依然として重要だ。それでも、「関数を知らなければ分析できない時代」は終わりつつある。MicrosoftとGoogleが競っているのは機能の数ではなく、人間の意図をどれだけ正確に理解し、業務に役立つ形で結果を返せるかである。
Copilotの強み
Copilotは「Excelを賢くするAI」ではない。Microsoftが目指しているのは、Excelを起点にWord、PowerPoint、TeamsなどMicrosoft 365全体の仕事をAIで支援することだ。この設計思想が、CopilotとGeminiの最も大きな違いになっている。
Excelでは、自然言語でデータ分析や数式生成、グラフ作成、ピボットテーブルの作成を支援する。売り上げ表に対して「どの地域の売り上げが伸びているか」「前月比で減少した商品はどれか」と質問すれば、Copilotはデータを分析し、グラフやピボットテーブルなどを使って結果を提示する。従来は操作方法を理解していなければ使いこなせなかった機能を、会話形式で利用できる点が特徴だ。
さらに、CopilotはExcel内のデータ分析だけにとどまらない。分析結果をWordのレポートやPowerPointのプレゼンテーションへ展開し、Teamsで共有するといったMicrosoft 365全体のワークフローにつなげられる。企業に蓄積された既存のExcel資産をそのまま活用しながらAIを導入できることも、大きな利点といえる。
Microsoftは、Copilot in ExcelでPythonを利用した分析機能も提供している。Pythonの知識がなくても、自然言語で高度な分析や外れ値の検出、傾向分析などを実行できるため、Excelは表計算ソフトからデータ分析プラットフォームへと進化しつつある。
こうした特徴から、CopilotはMicrosoft 365を標準環境としている企業や、Excelを中心にデータ分析やレポート作成を行う組織で特に力を発揮する。
Geminiの強み
Geminiの強みは、Googleスプレッドシートを賢くすることだけではない。Google Workspace上での共同作業をAIで支援することにある。Googleは、ユーザーが複雑な操作を覚える前に、自然な言葉で表を作成し、分析し、共有できる環境を目指している。
Googleスプレッドシートでは、AIプロンプトを使って表やトラッカーを作成し、数式の生成やデータ分析、可視化を支援する。営業管理やタスク管理、アンケート集計などの日常業務でも、「今月のデータだけ集計して」「条件に合う行を抽出して」といった指示を自然言語で実行できる。
Geminiの特徴の一つが、数式エラーの修正支援だ。Googleは、数式エラーが表示されたセルをGeminiが分析し、原因や修正案を提示する機能を提供している。関数名や参照範囲、データ型などでつまずきやすい初心者にとって、単に答えを示すだけでなく、なぜエラーになったのかを自然言語で理解できる点は大きなメリットといえる。
さらに、GeminiはGmail、Googleドキュメント、GoogleドライブなどGoogle Workspace全体と連携し、共同編集の流れの中で力を発揮する。複数人で同じスプレッドシートを編集しながら、「進捗をまとめて」「未対応のタスクを抽出して」とAIへ依頼できるため、チームでの作業を効率化しやすい。
こうした特徴から、GeminiはGoogle Workspaceを標準環境とする組織や、クラウドを前提とした共同編集が多いチームで特に力を発揮する。
CopilotとGeminiの違い
CopilotはMicrosoft 365全体の業務を支援するAIとして、GeminiはGoogle Workspace全体の共同作業を支援するAIとして位置づけられる。どちらが賢いかという問いに一つの答えはなく、利用環境によって適したAIが異なる。
変わるのは「Excel」ではない
この競争で本当に変わるのは、ExcelやGoogleスプレッドシートの機能ではない。変わるのは、人間が表計算ソフトに向き合う姿勢だ。これまでの表計算では、ユーザーが関数や操作を知っていることが前提だった。売り上げを集計するにはSUMIFやピボットテーブルを知る必要があり、条件付きで数えるにはCOUNTIFやCOUNTIFSを思い出す必要があった。エラーが出れば、括弧、参照範囲、データ型を自分で確認した。ユーザーは「何をしたいか」だけでなく、「どう操作するか」も知っていなければならなかった。
AIによって、この負担は変わる。今後重要になるのは、「どの関数を書くか」よりも、「AIに何を分析させるか」だ。たとえば、「売り上げを合計して」では不十分だ。「地域別に前年同月比を出し、落ち込みが大きい順に並べ、原因を考える材料を示して」と頼める人のほうが、AIをうまく使える。関数名の知識よりも、問いの設計力が重要になる。
MicrosoftとGoogleは、表計算ソフトをAIエージェント化しようとしている。AIエージェントとは、単に質問に答えるだけでなく、ユーザーの意図を理解し、複数の操作を組み合わせ、成果物に近い形まで進める存在だ。CopilotはExcelとMicrosoft 365の業務フローをつなぎ、GeminiはGoogleスプレッドシートとGoogle Workspaceの共同作業をつなぐ。両社の方向性は違うが、目指している未来は共通している。表計算ソフトを、命令を待つ道具から、仕事を進める相棒へ変えることだ。
もちろん、AIに任せればすべて正しくなるわけではない。表計算は業務判断や会計、契約、在庫、給与など重要なデータを扱う。AIが作った数式や分析結果は、かならず人間が確認する必要がある。とくに参照範囲の取り違え、前提条件の誤解、欠損値の扱い、データ更新漏れは、AI時代にも残る問題だ。AIは作業を速くするが、責任を引き受けるわけではない。
それでも、表計算ソフトの使い方は確実に変わる。初心者は関数名を知らなくても作業をはじめられる。中級者はAIの提案を修正しながら効率を上げられる。上級者はPython分析や複雑な可視化を自然言語で呼び出し、より高度な仕事に時間を使える。AIはすべての利用者を同じレベルにするのではなく、それぞれのレベルで作業の上限を引き上げる。
これからの表計算で問われるのは、どのAIが関数を正しく書けるかだけではない。どのAIが、人間の問いを業務上の判断へ結び付けられるかだ。MicrosoftとGoogleが競っているのは、表計算ソフトの機能ではなく、人間の仕事の進め方そのものである。関数を書く時代から、問いを設計する時代へ――CopilotとGeminiの進化は、その変化を最も分かりやすく示している。



