都並敏史が語る韓国サッカーとの友情「貯金全額おろして接待」
都並敏史が語る韓国サッカーとの友情

元日本代表で、ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)などで活躍した都並敏史さんが、読売新聞ポッドキャスト「ピッチサイド 日本サッカーここだけの話」に出演。ライバル韓国との思い出を、番組MCの中澤佑二さんと振り返った。収録は7月1日に行われた。

若手抜擢と「新生代表」

都並さんは小学生から読売サッカークラブの下部組織に所属し、高校卒業後にトップチームに昇格。1980年、19歳で日本代表に初選出された。当時の監督は川淵三郎さん(Jリーグ初代チェアマン)だった。

「小学生の頃から日本代表を応援していたので、本当に誇らしく、うれしいことだった。あのユニホームを着ることが夢のようで、気合が入りまくりました」と都並さんは振り返る。

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川淵監督は若手を積極的に登用し、代表の世代交代を推進。風間八宏さん、戸塚哲也さん、金田喜稔さん、柱谷幸一さん、木村和司さんら二十歳前後のメンバーが次々と招集された。

初任給6万円で40万円の車

読売サッカークラブでの初任給は6万円だったという。都並さんは「6万円なのに40万円の車を買った。年利が14%くらい取られて、いつまでたってもローンが終わらないんだよ(笑)」と笑いを交えて語った。

ピッチ外での韓国との友情

日本代表ではライバル韓国との思い出が深い。当時は韓国の実力が日本を圧倒的に上回っていたが、ピッチの外ではサッカーを愛する者同士、仲の良い関係を築いた。

「定期戦で何度も試合をやるから、仲良くなって。マーク相手の選手が友達になる。親友が辺炳柱(ビョン・ビョンジュ)で、釜山で接待してもらった。彼らはスーパースターだから、タクシーに乗ってもサインを求められていた」と都並さんは当時を懐かしむ。

韓国代表が来日した際には、都並さんが韓国選手をもてなした。「88年に日韓定期戦で来た時、50万くらいしかなかった貯金を全部おろして、彼らを接待したのを覚えている。向こうでお世話になったから」と明かした。

盧廷潤とのエピソード

韓国人Jリーガー第1号として知られる盧廷潤(ノ・ジュンユン)さんとのエピソードも語られた。盧さんはJリーグ開幕時、サンフレッチェ広島の選手として、森保一さん(現・日本代表監督)ともプレー。洪明甫(ホン・ミョンボ)さん(前韓国代表監督)ら、その後に続くパイオニアだ。

「W杯アメリカ大会のアジア最終予選で、韓国代表と宿舎が同じだった。盧廷潤としゃべって、キムチもらって最高にいい人だった。後から彼は(日本びいきという理由で韓国国内で)悪者になっちゃった。多分、俺のせい」と振り返った。

韓国サッカーから学んだこと

都並さんは当時の韓国サッカーについて「とにかく走れる。フィジカルがすごいのと、クロスがしっかりしていた。精密機械みたいだった。韓国のサッカーは好きだったし、韓国のサッカーから学んだ」と語った。

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