サッカーワールドカップ(W杯)北中米3カ国大会で、米テネシー州ナッシュビルが日本代表の宿営地を誘致した。同市長首席補佐官のタイソン昌美さんは、日米の懸け橋になるという幼いころからの目標を実現する形となった。
ナッシュビルに和太鼓と尺八の音色
米国南部の都市ナッシュビルに、和太鼓と尺八の音色が響き、現地住民と日本人がまぜこぜになって声援を送る。そんな光景をもたらしたのはサッカーだった。
カントリーミュージックの聖地として知られるナッシュビルで暮らして約30年が過ぎた昨夏、タイソンさんに思わぬ仕事が舞い込んだ。開幕まで1年を切っていたW杯で、国際サッカー連盟(FIFA)が示した宿営地の候補にナッシュビルの名はなかったが、日本サッカー協会(JFA)は独自に選定を進めていた。
タイソンさんは米国で弁護士としてキャリアを重ね、日系企業の米国進出を支援する専門チームの立ち上げなどに奔走。ナッシュビル市長から請われて日本人としては異例の首席補佐官に就き、地域PRに携わるようになった直後だった。
日本とナッシュビルの友好関係を世界に示す機会
日本とナッシュビルの友好関係を世界中に示す千載一遇のチャンスに、タイソンさんは胸を高鳴らせた。
日本と世界をつなぐ人材になるのは両親の願いだった。タイソンさんは18歳まで横浜市内のインターナショナルスクールに通い、卒業後に米ジョンズ・ホプキンズ大へ進学。英国人男性との結婚を機にナッシュビルへ移った。
医師を志す夫の猛勉強ぶりに触発されて弁護士を目指し、司法試験に合格。一男二女にも恵まれた。
父の死を機に人生を顧みる
転機となったのは2017年。父の他界を機に、当時46歳だったタイソンさんは人生を顧み、残りの時間で「懸け橋」になることを決意した。翌年には州の経済開発庁に入り、外国企業誘致の責任者に。日米交流団体やナッシュビル国際空港の理事も務めた。
6月22日のチュニジア戦で日本代表は4対0で快勝。タイソンさんは代表メンバーらが滞在するホテルに赴き、森保一監督と笑顔で握手を交わした。



