神奈川県愛川町中津では、昔ながらの手法による箒作りが今も行われている。150年ほど前に中津出身の柳川常右衛門によって広められた箒作りは、大正から昭和初期にかけて一大産業となり、関西でも「東京箒」や「関東箒」といった名称で販売された。しかし戦後、生活の洋式化やプラスチック箒の台頭、安価な輸入箒の登場により職人が相次いで廃業。自家用などとして細々と製法が伝えられてきたが、昭和末期には途絶えてしまった。
復活への決意とブランド化
常右衛門から数えて六代目に当たる柳川直子さん(73)は「美しい箒作りを途絶えさせたくない」と復活を決意。柳川家の屋号「山上」をとって、平成15年に株式会社「まちづくり山上」を設立した。原料となるホウキモロコシ栽培の研究や若手職人の育成に取り組んでいる。
日用品として無名だった箒を「中津箒」と名付け、工芸品として再評価されるようブランド化を図ったほか、制作体験や百貨店での実演販売にも取り組んでいる。直子さんによると、箒作りを組織的に行っているのは「全国でも、もうここだけではないか」という。
次代へ紡ぐ手仕事
現在、まちづくり山上には7人の作り手が在籍している。そのうちの一人、吉田慎司さん(42)は平成17年に箒作りの世界に飛び込んだ。現在は移住先の北海道小樽市で中津箒の制作を続けており、ホウキモロコシの収穫期には泊まり込みで中津にやってくる。
大学時代、民俗学に関心があった吉田さんは「昔ながらの暮らし方に興味があった。(箒作りを通じて)暮らし方を残し伝えていきたい」と話す。日用品の枠を超えて、工芸品として再出発した中津箒。暮らしに根付いて発展した丁寧な手仕事が、次代へと紡がれていく。



