日本サッカーは1998年フランスW杯に初出場した後、約20年でW杯常連国へと成長した。その原動力となったのが、小野伸二、高原直泰、稲本潤一ら「黄金世代」の存在だ。彼らはどのようにして世界と戦う力を身につけたのか。答えは「海外遠征の多さ」にある。
10代で経験した驚異的な海外遠征
黄金世代のエースストライカー、高原直泰は経済メディア『PIVOT』でこう振り返る。「中2くらいのときにU17世界選手権に向けて、U15日本代表が立ち上がり、最初の合宿に呼ばれて、小野と同じ部屋になったり、初めて稲本に会ったりした。小野に関しては小学生のときから知っていて、『なんだこいつ、自分よりうまい選手がいる』と刺激を受けた。U15代表の活動が始まってから、本当に信じられないくらい海外へ行った。1、2週間海外へ行って戻ってきたら、2日後くらいにまた集合して他の国へ飛ぶという感じで、中2から高1にかけては何カ国へ行ったかわからないほど海外へ行った」
当時、日本にとって世界は遠い存在だった。1998年フランスW杯ではグループステージでアルゼンチン、クロアチア、ジャマイカに3連敗し、世界との差を痛感させられた。そんな中、黄金世代は10代の頃から積極的に海外遠征を繰り返し、世界のトップレベルを肌で感じる機会を得た。
U17世界選手権出場という成果
その強化策は実を結び、小野、高原、稲本らは1995年にエクアドルで開催されたU17世界選手権への切符を勝ち取った。日本がアジア予選を突破して世界大会に出場するのは、メキシコ五輪以来のことだった(日本は1979年にワールドユース、1993年にU17世界選手権に出場していたが、いずれも日本開催の大会で開催国枠での出場だった)。
本大会では、A組初戦でガーナに0対1で敗れたものの、第2戦で高原のゴールによりアメリカに2対1で勝利。第3戦は開催国エクアドルと0対0で引き分けた。この経験は、彼らがその後世界で活躍するための大きな財産となった。
トップクラスに触れた経験が財産に
黄金世代の選手たちは、10代の頃から海外の強豪と対戦し、世界基準のスピードやフィジカル、戦術を目の当たりにした。この経験が、彼らの成長を加速させ、後に日本サッカーをW杯常連国へと押し上げる原動力となった。海外遠征の頻度と質の高さが、日本サッカーのハンデを乗り越える鍵だったのである。



