黄金世代が海外遠征に行けた理由:日本サッカーがW杯常連国になるまで
黄金世代が海外遠征に行けた理由:日本サッカーの飛躍

日本サッカーが20年でW杯常連国に成長した背景には、黄金世代と呼ばれる選手たちの海外遠征経験が大きく寄与した。小野伸二、高原直泰、稲本潤一らは10代の頃から数百万円規模の海外遠征に何度も参加し、世界のトップレベルを体感した。

U17世界選手権での衝撃

1995年のU17世界選手権(エクアドル)で、日本はガーナ、エクアドルと同組となり、勝ち点で並んだものの得失点差で1及ばずグループ3位に終わった。しかし、この大会が黄金世代のその後のキャリアに大きな影響を与えた。特に初戦で敗れたガーナが後に優勝したことで、世界の壁を痛感したという。

高原直泰が語る海外遠征の価値

高原直泰は当時を振り返り、「U17世界選手権に出させてもらった経験、体験は非常に大きかった。『俺らの方がうまいぞ』と強く感じたが、同時に『じゃあ、ここから差がつくのか?』と思った。できるだけ早く海外に出たい、チャレンジしたいという気持ちが芽生えた。いろんな国の選手たちとプレーをしたからこそ、そう考えられた。自分の枠が日本じゃなく、一気に世界へ広げられた」と語る。

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松田保監督の先見性

当時のU17日本代表監督・松田保は、「中学、高校時代に海外の同世代と戦うべきだ」という信念を持っていた。1995年春の南米遠征ではエクアドルとブラジルを回り7試合を戦い、U17ブラジル代表との試合では1-2で敗れたものの、選手たちは相手の柔軟体操やドリブル、ボールハンドリングの練習を食い入るように見つめたという。松田監督は「世界にはとてつもない奴がいるということを、ある段階で知ることは重要。それも俺には全然できないと完全にお手上げになる段階ではなく、もう一歩伸びたいという時にです」と述べている。

地理的ハンデを克服した黄金世代

日本はサッカーの本場ヨーロッパから約1万キロメートル離れており、戦術や指導のノウハウが伝わりにくいだけでなく、異文化のライバルと競う場を持てない地理的ハンデがある。しかし、黄金世代は自ら海を渡ることでそのハンデを打ち消した。自分たちの当たり前が世界では当たり前ではないことを知り、自己を客観視する機会を得たのである。

強化費の充実が支えた遠征

こうした海外遠征を可能にしたのは、日本サッカー協会の強化費の充実である。黄金世代が10代の頃、日本は1993年にJリーグが開幕し、サッカーへの投資が増大していた。1回数百万円とも言われる遠征費を協会が負担し、選手たちは何度も海外で経験を積むことができた。この経験が後のW杯出場常連化につながったと言える。

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