休養ゼロの過酷練習で燃え尽きた五輪選手が語る2000年前の哲学
休養ゼロの過酷練習で燃え尽きた五輪選手の哲学

2000年前から伝わる「逆境との向き合い方」とはどのようなものか。オリンピック金メダリストで作家、起業家のマルク・タイテルト氏が、自身の経験を基に語った。

休養日ゼロの過酷トレーニング

タイテルト氏は、スポンサーとの約束を果たすため、トレーニングスケジュールから休養日をすべて削った。練習では求められた以上のことを行い、他の選手がリンクを10周滑るなら自分は11周。3週間のチーム合宿後も自分だけ残って練習を続けた。固定式自転車も指示の2時間を3時間に延ばした。「ハードに練習すればするほど、もっと速くなれる」という考えだけが頭にあったという。

頑張れば報われると自分に言い聞かせていたが、結果を求めるあまり無理をしすぎていた。身体が悲鳴を上げてから、無茶をしていたと気づくことが常だった。思いがけないタイミングで体調を崩し、極度の疲労を感じても、回復後すぐに失われた時間を挽回しようと猛練習に励んだ。しかし、しばらくすると再び体調を崩す悪循環に陥った。

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五輪直前の燃え尽き症候群

事態が急変したのは、ドイツ・インツェルのトレーニングキャンプへ向かう道中だった。凍えるほど寒く暗い中、氷の上に足を踏み入れる前から疲れ果てていた。「こんなの無駄だ。引き返せばいいじゃないか?もう家に帰ろう」という心の声が聞こえた。なんとか無視してスケート靴を履き、リンクを数周滑ったが、限界だった。疲労困憊だった。

2002年ソルトレークシティ冬季オリンピック開幕まであと3カ月という時期に、タイテルト氏は深刻なオーバートレーニング症候群に陥った。まるで働きすぎた人が燃え尽き症候群になったような状態だった。

この大会でオランダは8個のメダルを獲得したが、タイテルト氏はそのメダルを手にすることはなかった。自宅のソファで勇気を振り絞ってテレビをつけ、心を痛めながらメダルの行方を見守るのが精一杯だった。

「タイテルトはもう終わりだ」という解説者の声がテレビから聞こえてきた。タイテルト氏は病人のようにベッドに横たわり、その通りかもしれないと思った。若さを活かして頭角を現すには時間が限られており、20代前半までに実力を発揮できなければ輝かしいキャリアは諦めなければならないと考えた。

次ページでは「難破を経験したことで、むしろ今私は良い旅をしている」という内容が続く。

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