残虐な紛争をくぐり抜けたサラエボ。世界で最初に原爆の投下を受けた広島。路面電車が走る。それは破壊に対する抵抗であり、日常を取り戻す営みだった。平和を要に交流を持つ両市で、路面電車の存在を考えた。
オシム監督の故郷で
欧州とイスラム世界が出合う街、サラエボ。バルカン半島に位置するボスニア・ヘルツェゴビナの首都で、約40万人が暮らす。日本では、サッカー日本代表監督を務めたイビチャ・オシムさん(故人)の故郷としても知られる。
路面電車は19世紀から、この街を支える背骨のような存在だ。ウィーンより早く電化され、130年以上の歴史を持つ。
盆地を流れるミリャツカ川沿いをオスマン帝国時代から続く旧市街へと走ると、車窓にはモスクや教会、シナゴーグが次々と現れる。さまざまな宗教や民族が共存してきた歴史を映すかのようだ。
紛争と復興
第1次世界大戦の導火線ともなったサラエボ事件の現場、ラテン橋の脇も通る。文化や宗教の交差点は、いつの時代も紛争の発火点になりうる。
東西冷戦の終結後、旧ユーゴスラビアで民族主義が台頭した。その一つ、ボスニア・ヘルツェゴビナで1992~95年にかけて、ムスリム系が多いボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人が激しい戦いを繰り広げた。サラエボは四方を包囲され、セルビア人勢力から襲撃された。路面電車も運行をほぼ、停止した。
紛争は95年末、和平合意にたどり着いた。戦闘の終わりを信じ、路面電車は平常運行に戻った。
96年1月9日。午後5時28分、事件は起きた。閃光と爆発音。国立博物館近くを走っていた272号車を銃弾が襲う。血まみれで倒れる乗客がいた。
この記事は有料記事です。残り3134文字あります。



