豊臣秀吉が京都に築いた初めての拠点とされる「妙顕寺城」の推定地(京都市中京区)で、外堀が見つかった。発掘調査を実施した民間調査会社「文化財サービス」(同市)が2026年8月21日に明らかにした。
城跡で遺構が確認されたのは今回で2例目。堀の発見は初めてとなる。見つかった堀は規模が小さいことから、この城が秀吉にとって仮の拠点だった可能性があるという。
発掘で確認された外堀の詳細
妙顕寺城は、秀吉の主君である織田信長が討たれた本能寺の変(1582年)の翌年から、京都の屋敷として築城された。文献には天守や外堀もあったと記録されている一方、城の遺構は2024年に池の跡が見つかった以外は確認されていなかった。
今回の発掘調査は2026年3月から8月にかけて、妙顕寺城跡と推定されるマンション建設予定地で行われた。確認された堀は城跡の西側に位置し、長さ南北約5メートル、幅約5メートル、深さ約1.4メートル。石垣を設けない「素掘り」で、共に出土した土器類から秀吉の時代の遺構と判断された。
今後の調査と意義
今回の発見は、文献に記された外堀の実在を裏付ける重要な手がかりとなる。堀の規模が小さい点から、妙顕寺城が秀吉の本格的な居城ではなく、一時的な拠点として使われた可能性が改めて浮上している。今後のさらなる調査が待たれる。



