能登豪雨2年、珠洲の水田に大量の石 農業法人「何もしなければ農地は消える」
能登豪雨2年、珠洲の水田に大量の石 農地消失の危機

能登半島地震の被災地を襲った奥能登豪雨から21日で2年。21人の命を奪った災害は、里山も深く傷つけた。米づくりの現場がいま、危機に直面している。

半島の先端にある石川県珠洲市。農業法人「すえひろ」代表の末政博司さん(67)は、水田に転がるこぶし大の石を手にして表情を曇らせる。

「土砂を取り除いたら、こんなに石が残っていた。地主から預かっている田んぼ。いつまでも放置しておけない」

Pickt横長バナー — Telegram用の共同買い物リストアプリ

豪雨で水田に土砂や石が流入

2024年9月21日、県内初の大雨特別警報が発表され、24時間降水量は輪島市で400ミリ超、珠洲市で300ミリを超えた。川があちこちであふれ、水田は泥水につかった。この時、土砂や流木とともに大量の石が流れ込んだ。

水田は元日の地震で、隆起したり亀裂が入ったりしたほか、ため池や用水路も壊れていた。復旧を進め、前年の8割にあたる約80ヘクタールに作付けしたが、豪雨後に収穫できた米は、前年の半分にとどまった。

「絶やしたくない」の一念、砕いた豪雨

末政さんは代々続く米農家で、1995年に仲間と農業法人を立ち上げた。当時、集落に約40人いた農家も減少。それでも「何もしなければ農地は消える」という思いで、農業を続けてきた。

豪雨は、その一念を砕くような出来事だった。水田に残る石を取り除かなければ、来年の作付けにも支障が出る。しかし、人手も時間も限られている。

「いつまでも放置しておけない」と語る末政さんの言葉には、農地を守り続ける決意と、厳しい現実への焦りがにじむ。能登の米づくりは、災害から2年が経過した今も、復旧への長い道のりを歩んでいる。

Pickt記事後バナー — 家族イラスト付きの共同買い物リストアプリ