キャリア・教育:自分とは何か?実存主義から考える人間の自由と責任
自分とは何か?実存主義から考える人間の自由

誰しも一度は考えたことがある「自分とは何か」という疑問。世間や家族、道徳や習慣に縛られながらも、この問いに真剣に向き合った末にたどり着く「人間らしい結論」とは何か。作家のチェ・ソンホ氏が、実存主義の観点から考察する。

いすやブタとの違いから考える「実存」

実存主義を理解するには、「本質」と「実存」という二つの存在のあり方を知る必要がある。世界に存在するすべてのものは、本質として存在するか、実存として存在するかのいずれかだ。この基準に従って、いす、ブタ、人間を比較してみよう。

まず、いすは本質として存在する。いすの本質は「座るもの」であり、個別のいすよりもその本質が優先される。もし脚が完全に折れて座れなくなったいすは、本質を失ったとして捨てられるだろう。同様に、ブタも本質として存在する。ブタの本質は「食べるもの」であり、病気で食べられなくなったブタは殺処分される。つまり、いすやブタはあらかじめ決められた本質に従って存在している。

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人間は自由に呪われている

しかし、人間の存在は異なる。人間にはあらかじめ決められた本質がない。人間はまず実存し、その後で自分自身を作り上げていく。これは、人間が自由であることを意味するが、同時にその自由に対する全責任を負うことをも意味する。チェ・ソンホ氏は「人間は自由に呪われている」と表現する。自由であるがゆえに、自分の選択と行動に責任を持たねばならないからだ。

この考え方は、多くの哲学者や作家、芸術家、社会活動家によって発展させられてきた。彼らは実存主義者として分類され、それぞれ独自の方法で活動を展開した。そのため、現代の実存主義を一言で定義するのは容易ではない。

人間らしい結論とは

では、自分とは何かという問いに対する「人間らしい結論」は何か。それは、自分の本質を自ら選択し、創造していくことの重要性を認識することだ。世間や家族、道徳や習慣に縛られながらも、人間は自らの実存を通じて意味を生み出していく。この自由と責任を受け入れることが、人間らしい生き方の核心であるとチェ・ソンホ氏は説く。

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