秀吉を支えた弟・秀長の実像 ドラマでは描かれない残虐な一面
秀吉を支えた弟・秀長の実像 ドラマでは描かれない残虐な一面

豊臣秀吉の弟である豊臣秀長は、兄の天下統一を陰で支えた「最高のNo.2」として知られる。しかし、大河ドラマで描かれるお調子者のイメージとは裏腹に、秀吉自身は非常に残虐な一面を持っていた。伝記作家の真山知幸氏は、著書『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』でその実像に迫っている。

秀吉の厳しい規律と「一銭切り」

秀吉は鳥取城を兵糧攻めにした際、陣を敷いた丸山城(現在の河原城)で、自軍に対して厳しい命令を下した。「陣取りや道中において乱暴狼藉といった略奪行為や、庶民に対して不当な行為を行う者がいたら一銭切りにせよ」というものだ。「一銭切り」とは斬首を意味し、たとえ1銭でも盗めば首を切られる、あるいは切り口が銭の形に似ていることからそう呼ばれた。この命令は、敵対する相手だけでなく自軍の統率にも断固たる態度を示した秀吉の姿勢を物語る。

秀長の決意と本能寺の変

兄の厳しいメッセージを受け、5000の兵を任されていた秀長は腹をくくった。「兄のようになれずとも、兄の野望をかなえるために自分のやれることを、どこまでもやってやろう」。そんな最中、日本史を揺るがす大事件が起きる。明智光秀が織田信長を討った「本能寺の変」である。秀吉はこの知らせを受けて中国大返しを決行し、秀長もその一翼を担った。

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参考文献

  • 太田牛一著、中川太古訳『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)
  • 杉山博編『多聞院日記索引』(角川書店)
  • 河内将芳著『図説 豊臣秀長 秀吉政権を支えた天下の柱石』(戎光祥出版)
  • 河合敦著『豊臣一族 秀吉・秀長の天下統一を支えた人々』(朝日新書)
  • 真山知幸著『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』(日本能率協会マネジメントセンター)
  • 真山知幸著『企業として見た戦国大名』(彩図社)