榎木さんは、センター試験の前日まで大学の後期試験があるというハードな仮面浪人生活を送っていた。それでもセンター試験の対策を十分に行い、2年目には800点満点中721点を取り、9割を超える成績を残した。この年の平均点が下がったこともあり、河合塾のセンターリサーチでも「この年なら結構いい」と思える判定が出たという。
こうして榎木さんは東京大学理科二類に合格。科学者を目指す思いは入学後も変わらず、進学振り分けでは理学部に進み、大学院でも東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻に進んだ。
研究で成果が出ず、教授と衝突
しかし、研究の世界は受験勉強とは異なる能力が求められた。榎木さんは「研究では、長時間の実験による根気や、指導者の言うことを素直に実行する姿勢が必要で、そういった部分で成果が出ず、論文も出ない、研究発表もできないという状態が続きました」と振り返る。
修士課程は修了したものの、博士課程に進んでからはうまくいかなくなり、大学院をサボり気味になって渋谷で映画を見る日々を過ごした。教授に逆らうこともあり、博士課程2年の秋、教授から「そういう態度なら来なくていい」と研究室の出入りを禁止された。
後期の学費を振り込んだ直後の10月に出禁になったため、「学費返せと思いました」と当時を振り返る。一方で「今思えばそうなるのは仕方ない」とも語っている。
医学部学士編入という道
次の進路が決まるまで休学という形で在籍はできたが、生きていくすべを初めて本気で考えた。大学の学生相談所に通い、心のケアも受け続けた。「将来をまったく見通せなくなった、人生で一番の挫折でした」と榎木さんは話す。
行き詰まった状況の中で、医学部の学士編入という道を見つけた。生命科学研究をしていたことで医療分野は身近で、研究室に医師免許を持つ人がいて「週1のアルバイトでそこそこ稼げる」という話を聞いたのも動機になった。「医師免許を持った研究者になろう」と決意し、約10カ月間の受験勉強を始めた。
受験したのは大阪大、千葉大、神戸大、群馬大、島根医科大(現島根大)の医学部5校。日程が重ならなければ全校受験できる学士編入の特性を生かし、全て受験した。専門科目と英語と書類審査が中心の試験で、群馬大は民間企業の保養所での合宿審査、島根医科大は障害者施設での実習審査という形式もあった。
3校に合格し、神戸大学医学部へ
結果は神戸大、群馬大、島根医科大の3校に合格。第1志望の大阪大には届かなかったが、神戸大学医学部に編入した。その後、32歳で医師となった。
浪人を経験し、東大大学院で研究室を出入り禁止になるという挫折を味わった榎木さん。予定通りにいかないキャリアの中から見つけた医師という道は、彼にとって意外な天職になったようだ。



