浪人から29年、57歳で小説家デビュー「新人賞21回落選も諦めなかった理由」
浪人から29年、57歳で小説家デビュー「新人賞21回落選も諦めなかった理由」

57歳で念願の小説出版を果たした宮本さんは、28歳から執筆を始め、新人賞に21回落選しながらも29年間諦めずに書き続けた。その原動力となったのは、浪人時代に学んだ「孤独との向き合い方」と、建築家・荒川修作氏からの「文章を書け」という助言だった。

浪人生活で培った「自分と向き合う力」

宮本さんは浪人時代を振り返り、「一人で自分と向き合わないと勉強はできるようにならない」と学んだという。この経験は後の創作活動に確かに引き継がれた。早稲田大学では交響楽団やジャズバンドでトランペットを吹いたが、「みんなとレベルが違いすぎた」と挫折。その後、岡山から一緒に東京に出てきた友達に誘われて劇団に入り、先輩に感化されて本をたくさん読むようになった。劇団を辞めた後は大学の授業にも出ずアパートにこもって小説を読み漁り、2年の留年を経験した。

建築から小説へ—荒川修作氏の一言

大学では建築学科に所属し、卒論指導で石山修武教授と出会い、5年生から真面目に勉強を始めた。週1冊のペースで本を読みレポートを書く個人レッスンを受け、「面白い」と褒められた。卒業間際、ゼネコンの内定を手にしながら「サラリーマンになると思ったら嫌になった」と正月明けに内定辞退。父親に激怒され、5年間の勘当生活が始まった。塾のアルバイトで月収12万〜13万円、ゴキブリが出るボロボロのアパートでの生活を送った。「つらい5年間でした。でも何とかするしかないと思っていました」と語る。

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27歳の時、画家・建築家の荒川修作氏の作品「養老天命反転地」に深く感動し、ニューヨークに手紙を送った。荒川氏に「建築の仕事をください」と模型の写真を同封して送ると、日本で会ってくれることに。しかし、いざ会うと「僕(荒川さん)くらい名前があっても誰も建築を作らせてくれないのに、大学を出たばかりでほとんど仕事もしたことがない君に、誰が建築を作らせるんだ」と怒られた。その上で「こうやって僕に会いに来るような奴はいない。君は度胸はある。あと文章は書ける。建築を作るのはクライアントを見つけたり大変だけど、文章なら紙と鉛筆さえあれば誰でも書ける。僕は建築をやる前にブループリントとして絵を描いていただろう。君もブループリントとして文章を書いてみたらいい」と言われたという。

29年間の執筆活動と21回落選

荒川氏の言葉をきっかけに、宮本さんは小説を書く人生を決意。それまでも建築模型を作りながら短い小説を書いていたが、本格的に執筆を始めた。しかし、新人賞には21回連続で落選。それでも「小説家になるのは大変そうだけど」と諦めず、29年間書き続けた。その間、45歳で結婚し、生活のために建築の仕事も続けた。

57歳で叶えた夢

2026年、57歳でついに小説の出版を果たした。宮本さんは「浪人生活で身につけた孤独との向き合い方が、創作の糧になった。荒川さんの言葉がなければ、ここまで続けられなかった」と振り返る。29年間の努力が実を結んだ瞬間だった。

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