長島愛生園への架橋38年、石田さん「人間らしく生きるための橋」と振り返る
長島愛生園への架橋38年、石田さんが思い語る

本州と四国を結ぶ瀬戸大橋が昭和63年4月に開通した翌月、岡山県瀬戸内市と長島を結ぶ「邑久長島大橋」が完成した。島と本州の距離はわずか30メートル。島には、ハンセン病患者を強制的に隔離するため昭和5年に日本初の国立療養所として開設された「長島愛生園」がある。

橋が開通し、移動が容易に

橋が架けられ、それまでのように船を使わずとも行き来できるようになった。現在では年間約1万2000人が橋を渡って訪れ、長島愛生園歴史館などを見学し、ハンセン病を巡る歴史や誤った隔離政策について理解を深めている。

シンポジウムで架橋運動の功績を回顧

橋の開通から38年の節目に合わせ、5月9日に長島愛生園で共生社会の実現を目指すシンポジウムが開かれた。架橋運動に尽力した入所者の石田雅男さん(90)は、「喜びばかりではなく、これからが大変だと思った」と開通時を振り返りつつ、「人間らしく生きていくための橋だ」と語った。

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石田さんは終戦の翌年、家族と離れ、10歳で長島愛生園に入所した。戦後の食料事情が悪かった時代で、空腹を抱えながらも畑づくりに追われた。古里や両親が恋しく、布団の中でよく泣いたという。青年期には薬の副作用で手足がしびれ、後遺症が残った。

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