奈良シニア大学を立ち上げた矢澤実穂さんは、事業開始から7年で家族4人が暮らせる一軒家を購入するほどの収入を得ていた。しかし、「本当にやりたいことはこれなのか」と自問自答を繰り返し、図書館に通う日々を送っていた。ある日、マザー・テレサの生涯を綴った本に出会い、心が強く惹かれる。彼女は「マザー・テレサの施設で働きたい」と強く願ったが、インドへ行くことは現実的ではなかった。そこで「それなら、私が日本のマザー・テレサになればいいんだ。縁のある人たちが幸せに生活できる場所を作ればいい。日本はこれから超高齢化社会になるのだから」と決意し、モデル仲間に人材派遣業を譲り、福祉の道へ進んだ。
介護福祉士から専務へ、そして独立へ
矢澤さんは三重県の専門学校に通い、介護福祉士の国家資格を取得。その後、大手企業が運営する老人ホームの社員となり、週の数日を寝泊まりして働き、知識と経験を積んだ。現場で頭角を現し、専務にまで登り詰める。その間に愛知県の日本福祉大学で社会福祉の経営マネジメントも学んだ。しかし、大手ならではの論理やルールに阻まれ、備品一つ買うのも難儀する現実に頭を抱えた。また、施設の患者の壮絶な死と向き合い、心が疲弊した。
「介護の場所って、私たちができることって限られているんです。介護保険のルールの中でしかサポートができないっていう葛藤がずっとありました。それで、もう全部、取っ払おうって。行政、国に頼らず、介護が必要になる前の段階にできることをしようって思いました」と矢澤さんは振り返る。彼女は介護施設で働きながら、自分で自由に動ける仕組みを模索し、独立して福祉事業を行う会社を立ち上げた。その後、2度目の結婚を経て奈良県へ移住するも、翌年離婚。そのまま奈良に両親と子どもを連れ、居を構えた。
累積赤字1700万円、自腹からスタート
奈良での生活に慣れ始めた頃、矢澤さんはある民営のシニア向けスクールを見学した。そこでは、今ではよく聞かれるようになった「生涯学習」の先駆けのような活動が行われており、シニアたちが生き生きと学ぶ姿に「これだ!」と感じた。時を同じくして、地元で顔の広い男性と出会い、意気投合。シニア向けの学習プログラムの構想を話すと、「一緒にやろう」と賛同を得て、2人で一般社団法人を立ち上げた。
しかし、立ち上げ後は厳しい現実が待っていた。累積赤字は1700万円に達し、矢澤さんは自腹を切って運営を続けた。それでも諦めず、シニアが生き生きと過ごせる居場所づくりを貫いた。その結果、徐々に参加者が増え、黒字化に成功。現在では多くのシニアが通う場として定着している。
シニアの居場所づくりへの思い
矢澤さんは「介護が必要になる前の段階で、シニアが社会とつながり、学び、楽しめる場所が必要だ」と語る。彼女の活動は、行政や介護保険に頼らない新しい形の福祉のあり方を示している。奈良シニア大学は、単なる学習の場ではなく、シニア同士の交流や生きがいづくりの場としても機能している。
今後の展望について、矢澤さんは「さらに多くのシニアが気軽に参加できる仕組みを作りたい」と話す。彼女の挑戦は、超高齢化社会を迎える日本において、重要なモデルケースとなるだろう。



