龍谷大戦没者名簿、作成から15年 301人の記録が伝える戦争の記憶
龍谷大戦没者名簿、作成から15年 301人の記録が伝える戦争の記憶

満州事変から太平洋戦争にかけて亡くなった龍谷大の学生や卒業生ら301人の記録をまとめた「龍谷大学戦没者名簿」が作成されて、今年で15年になる。名簿からは戦火で多くの若者が命を落とした歴史が読み取れる。戦後81年を迎え記憶の風化が進む中、関係者は戦争記録の重要性を語る。

名簿作成の経緯と内容

名簿は、1639年に西本願寺が設けた教育機関「学寮」を起源とした龍谷大の創立370周年記念事業の一環として2011年に発行された。作成にあたり、学内に調査室が置かれ、同大学の新田光子・名誉教授(当時・社会学部教授)ら3人が担当。大学令で設置認可を受けた1922年から終戦までの入学者9540人らを対象に約3年かけて調査した。

名簿に収録した戦没者は301人。1人に1ページを充て、出身地や在学中の活動、戦歴を文章で紹介し、顔写真に加え、戦地から家族に宛てた手紙などの関連資料も併せて掲載した。

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記録に残る多様な人生

記録に残る人生は様々だ。在学中に陸軍へ入った学生、神風特攻隊の一員になった学生、広島で被爆した卒業生の教員――。マレー沖海戦(1941年)で英艦隊を発見した偵察機の機長として、書籍になった卒業生もおり、時代に翻弄されたことがうかがえる。

名簿の作成で大きな助けになったのは、大学が保管していた「学籍簿」だ。「戦時中の学籍簿は空襲で散逸している場合も多いが、大切に保管されていた」。名簿作成の責任者だった新田さんは振り返る。

また、名簿に正確な事実を残すため、浄土真宗本願寺派の宗門校で特に当時は寺の子息が多かったことから、同派の各地の寺院に情報提供を求めた。遺族や親類にも直接取材し、残された写真などを手がかりに公文書とも照らし合わせながら足跡をたどった。

記憶の継承と今後の取り組み

新田さんは「『写真は1枚しかない』と言われ、唯一残る遺影を撮らせてもらった時もあれば、つらいから『話したくない』と言われた時もある」と語る。

名簿の完成から15年がたち、最近では、大学の講演会で朗読をする際に名簿を活用するなど、作成に意義があったと実感する。2020年には、同派の全寺院を対象として、戦争が及ぼした影響を調査して報告書にまとめる活動にも参加。「記憶や言い伝えを直接聞けない世代のために、今から意識して記録を原物保管してまとめていくことが大切。放置すれば残らない」と訴える。

龍谷大図書館では戦時中、貴重な書籍を空襲で焼失することを避けようと京都市伏見区の日野誕生院の土蔵に疎開させた記録や、学生が向かった勤労奉仕の動員先に文庫を貸し出した台帳の記録など、多数の資料が残る。寄贈された関連文献のコレクションも保管し、いずれも節目には広く公開してきた。

同大学図書館事務部の村上孝弘さんは「現在貴重な資料の電子化などを進めており、戦争に関する資料も進めていきたい。戦争中の大学のあり方などの調査も行っていく」と話す。

データから見る戦争の激化

収録された301人のデータからは、戦争が激化していく様子もわかる。戦没時身分の内訳は陸軍軍人・軍属が262人と最多。海軍軍人・軍属は26人で民間人10人、不明3人だった。戦没地はフィリピンが81人で最も多く、中国53人、日本本土51人と続き、ビルマ、沖縄、満州(現中国東北部)などに分散している。

没年は1944~45年に急激に増加し、最多は45年の154人だった。戦没の原因は戦場で亡くなる戦死が最多で、負傷や病気に起因する戦傷・戦病死のほか、原爆や空襲による戦災死なども含まれた。

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