「九人の乙女」風化させない…稚内で追悼式典、電話交換手ら自決から81年
「九人の乙女」風化させない…稚内で追悼式典

終戦直後の1945年8月20日、ソ連軍の侵攻を受けた南樺太・真岡(サハリン州ホルムスク)の郵便局で自決した女性電話交換手9人らの追悼式典が20日、稚内市で開かれた。

81年前の悲劇、献花で冥福祈る

当時17~24歳だった9人は81年前、ソ連兵が迫る中、真岡郵便局に残り、近隣の郵便局に戦況を伝えた後、猛毒の青酸カリを飲んで自決した。追悼式典は、稚内公園に1963年、9人を悼む「九人の乙女の碑」と樺太で亡くなった人たちの慰霊碑「氷雪の門」が設けられて以降、続いている。

この日の式典には遺族や市民、市内の高校生ら約220人が参加。祭壇に献花するなどして冥福を祈った。

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市長や高校生が平和への思い語る

実行委員長を務めた工藤広市長は「悲惨な歴史を決して風化させず、平和で心豊かな社会を築くために力を尽くす」などと式辞を述べた。吹奏楽の演奏で参加した稚内高校3年生の女性(17)は「9人の皆さんには、私たちと同じように家族、友人がいて、それぞれに夢や希望があったはず。稚内から平和の大切さを次の世代に伝え続けていきたい」とメッセージを述べた。

自決した9人のうちの一人、高城淑子さん(当時19歳)のおい(61)(千歳市)は「父から(淑子さんは)おしゃれが大好きで美人だったと聞いている。娘や孫には、平和の大切さ、戦争の悲惨さを伝えていきたい」と話した。

舞台、朗読劇などを通じて「九人の乙女」の悲劇を伝え続けている女性(札幌市)は「自決を選ばなければいけなかった人たちの気持ちに寄り添い、(その悲劇を)皆さんに伝えていきたいと思う。今の若者たちにも少しでも理解してほしい」などと話していた。

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