熊本県で最大震度7を観測した地震の発生から3週間が過ぎた。38人が亡くなり、約3万4000棟の建物が損壊、2900人余りが避難生活を送っている。鳥取から熊本県に入り、宇城市を2~6日に取材。2度目の大地震ということに加え、被災者を苦しめるのはこの夏の酷暑だ。
車中泊を強いられる被災者
鳥取を出発し、被災地に着いたのは1日午後。熊本県に入り、熊本駅に近づく新幹線の車窓からは激しい被害は感じられなかった。駅のエスカレーターは乗降口に続く床がひび割れ、使用中止になっていた。コンビニに入ると「飲料購入は2本まで」のはり紙。じわじわと地震の影響を感じた。
2日朝、レンタカーで宇城市に向かった。南に進むにつれて、倒壊した建物、ひび割れたり、隆起したりした路面が目立つようになってきた。高速道路が通行止めになっているせいか、本来40分ほどの道のりも渋滞で1時間強かかった。
「復興が進んでいたのに」
到着した宇城市役所では、割れた窓のガラスが取り払われ、代わりにブルーシートで覆われていた。駐車場は給水車や自衛隊車両、避難する住民の車でごった返していた。
「復興が進んでいたのに、またこんなことになってしまった」。駐車場で出会った嶋崎鉄也さん(74)は、10年前の大地震を振り返り、悔しそうな表情を浮かべた。市内の自宅は内外の壁が崩れ落ち、屋内のほとんどの家財道具が倒れたり、落ちたりして散乱した。
軽ワゴン車に衣類やコンロなど物を詰め込み避難。「気を使うから」と避難所には入らずに車中生活をしていた。10年前の発生は4月で「前回は毛布1枚で車中泊できた。今回は一番暑さがきつい」と汗をぬぐっていた。
猛暑が復旧作業を妨げる
同じ日には、隣の氷川町で高齢女性が車中泊中に熱中症疑いで死亡したと発表があった。取材をしていると汗は噴出し、照らされた肌は焦げるように痛い。暑さに体力を奪われるのがわかった。
倒壊した家屋の片付けに追われる被災者も大変だ。3日も宇城に向かい、同市豊野町の建設業奥村浩二さん(64)は頭にタオルを巻いて、全壊した自宅から思い出の品などを取り出していた。
敷地内の駐車場にしている建物は止めている車の上に屋根が落ちた。発生当時、奥村さんが作業中だった離れも傾き、扉をこじ開けて中からはい出た。「10年前はなんとか持ちこたえたが、今回はだめそう」と寂しそうに自宅を見ていた。
避難所の冷房対策急ぐ
市役所に地区を代表して雨対策のブルーシートを受け取りに来た池上公敏さん(78)は、「瓦が熱すぎて、素人ではシートを張る作業ができない」と教えてくれた。滞在した1~7日のうち、同市では5日間が35度以上の猛暑日。熊本市では3日に観測史上初の酷暑日、40・3度を記録した。
宇城市も猛暑への対応に追われていた。設備のない避難所には急ピッチでエアコンを設置。電源確保用に配備された燃料電池バスを急きょ、冷房機能を生かして避暑スポットとして活用した。
環境省は発災翌日に被災自治体に対し、避難者やボランティア用のクーリングシェルターの積極開放を指示。一方、停電や断水に見舞われた同市では、指定15か所の被災状況が確認できず、開放の可否が判断できない状態だった。
震度6弱以上を観測した県内15市町村で利用可能なシェルターは6日時点でわずか7か所のみ。収容可能人数の多い大型商業施設などは棚の商品が床に散乱するなど利用できる状況ではなかった。猛暑の中で人命を守りながら、いかに復旧作業を効率的に進めていくかが、今後の課題となりそうだ。



