南砺市出身で衆院議長などを務めた綿貫民輔氏が18日、99歳で亡くなった。突然の訃報を受け、県内の政界関係者などからは悼む声が相次いだ。
社会基盤整備に尽力
家族ぐるみで親交があったというのは、米原蕃県議(10期、砺波市選挙区)だ。綿貫氏は、豪雪地の対策など、ふるさとの社会基盤整備に力を尽くしたとして、「地元の人にとっては神様のような人だ」と振り返った。
中でも印象深いのは、綿貫氏のライフワークだった東海北陸自動車道だ。日本海と太平洋側を結ぶ大動脈の重要性を理解してもらうために、綿貫氏はかつて中曽根康弘首相(当時)とヘリコプターに乗った。上空で中曽根氏を口説いた、とのエピソードを披露してくれたという。「『モノが運べるようにならないと、産業が成長しない』という思いが強かった」と語る。
2031年度の完成を目指し、整備が進む利賀ダムでは、建設促進期成同盟会長を務めた。「完成を見届けてほしかった」と悔やんだ。
新田知事は、東海北陸自動車道の全線開通、利賀ダムの建設促進のほか、北陸新幹線の延伸に尽力したことも挙げながら、「県の成長の礎を築かれるとともに、国土の均衡ある発展や社会資本整備の推進に対する多大な貢献と功績に深く敬意を表する」とのコメントを発表した。
後進を育てた姿
「政治家を志すきっかけをくれた」と話すのは、上田英俊・衆院議員(2区)だ。大学3年の頃、政治の世界を学ぼうと綿貫氏の事務所に手紙を送った。縁もゆかりもなかったが、秘書を通じて「遊びに来いよ」と快く応じてくれた。
昨年、国土交通大臣政務官に就任した際、名刺を持って綿貫氏を訪ねると「しっかりやってくれ」と激励された。「(綿貫氏の)遺志を引き継げるほど偉くはないが、国土強靱化のために今後も努めていきたい」と話した。
自民党県連幹事長を務める宮本光明県議(6期)は、「富山の発展に尽力された。政治家としては足元にも及ばない」と振り返った。自身が幹事長に就任する際、綿貫氏に「幹事長は政治の要だ。しっかりしないと県連はまわらない」と声をかけられたことを今も心に刻む。「小さな地域を大事にしていた。時代は変わるが、教えてもらったことをしっかり守っていきたい」と話した。
地域の声を国政へ
綿貫氏の出身地である南砺市井波地区には、功績を次世代に伝えようと銅像が建てられている。地元の関係者からも、別れを惜しむ声が相次いだ。
南砺市の田中幹夫市長は発表したコメントで、1989年に旧利賀村で綿貫氏と会った時のことを「極寒のかまくらで、そばを共にしながら語り合った先生の情熱は、心に強く刻まれている」などと回顧。「時代を動かした偉大な政治家。先生が人生をかけて追い求められた日本の平和と地域の発展への熱い想いを、しっかりと胸に刻み、後世へと語り継いでいく」と誓った。
旧・井波町の町議だった島田木材(南砺市山見)の島田勝由会長(82)は、「日本のため、国民のために奔走した方だった。町議だった頃には、地域からの声を国政に反映させていただいたことを思い出す」としのんだ。
元南砺市議の大西正隆さん(79)は、綿貫氏が県議に初当選する前から、家族ぐるみで応援してきたという。8町村が合併して2004年に南砺市が発足する際、綿貫氏が「これから色々あると思うが、それぞれの地域が輝きを保ちながらの合併やからな」と語っていたことが印象深いという。その言葉には、地元を思う気持ちがあふれていたと感じている。「敵を作らないことを信条とする、温和で優しい先生だった」と惜しんだ。



