太平洋戦争からの復員後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症した旧日本兵の存在は長年、光が当たることはなかった。親の「戦争トラウマ」のため、家族だんらんを知らない子どもや、暴力や虐待の連鎖で今も心身に不調を来す孫。戦争がもたらした影響は、子孫の世代にも尾を引いている。
「子煩悩な人だった」父の変容
杉並区の黒川安子さん(75)には父・佐藤勇蔵さん(1993年に76歳で死去)にかわいがってもらった記憶はない。家では一人で日本酒を飲んで寝るだけだった。
黒川さんの3歳年上の兄が中学時代に手術で大量出血して入院した時も見舞いに来ず、34歳で亡くなる際も「あんなものは最初からいないと思えばいい」と言い放った父。国を恨み、昭和天皇がテレビに映ると舌打ちする父について「家庭も国も、何も信じられない人だった」と振り返る。
ただ、母から聞いた昔の父の姿は違っていた。1937年頃は朝鮮半島で衛生兵として従軍し、除隊後は内地での勤務を経て、41年に開拓団として満州(現中国東北部)に渡った。別の開拓団にいた母と結婚し、戦時中に2人の子どもを授かった。母は「お父さんは働き者で、子どもを風呂に入れてくれる子煩悩な人だった」という。
だが、戦争末期の45年春に再度召集され、終戦後はシベリアに2年間、抑留された。母は幼子2人をはしかと餓死で失い、満州で埋葬した。47年に抑留から引き揚げた父は帰国していた母と再会を果たすが、「お前は子どもたちを殺したんだ」と罵倒したという。
戦後生まれの黒川さんが「父が変わってしまったのは戦争が原因かもしれない」と思い始めたのは中学生の頃。「戦争で何かいけないことがあったの」と尋ねたが、何も語らなかった。両親は74年に離婚し、父は最期、自宅で孤独死した。母はそんな父について「戦争でダメになっちゃったんだよ」が口癖だった。
母が亡くなった翌年の2022年、日本兵の戦争トラウマのテレビ番組を見た。「父もこれだ」と感じ、同じ悩みを抱える家族と話し合う会に参加するように。「戦争によって苦しんだんだ」と父を許す気持ちに変わった。
暴力、孫世代にも影響
埼玉県の石井みきこさん(41)は幼少期、父親が母に暴力をふるう場面を何度も目撃した。両親は小学生の頃に離婚。親族によると、父も祖父から激しい暴力を受けていたという。
銀行員をしていた祖父は1942年、29歳の頃に2等兵として召集され、九州地方に配属された。米軍の本土上陸が予想された鹿児島県の志布志湾で終戦を迎えた。
戦後、祖父は父を含む子どもたちを一列に並べて顔が腫れるまでビンタをしたり、許しを出すまで水風呂に入れたりするなど、暴力を繰り返した。
祖父の軍歴を調べた石井さんは「通常の新兵より高齢でインテリだった祖父は上官や古参兵から暴力を受けていたのではないか」とみる。戦後、軍隊で覚えた暴力による支配を家庭でも再現し、虐待を受けて育った父も大人になって母に暴力をふるったと考えるようになった。
石井さんは幼少期の経験が原因で2024年、「複雑性PTSD」の診断を受け、自宅に引きこもりがちだ。今年3月、孫世代の「戦争トラウマ3世」が集まり、心に抱える「モヤモヤ」を語り合う会を作った。自身の境遇の原点に戦争があるのか、同世代の人の話を聞きながら、改めて考え続けている。
厚生労働省が日本兵の心の傷を調査し始めたのは2024年になってからで、戦後に発症したケースは対象外だ。
石井さんは、今も祖父や父の暴力を許すことはできない。「戦後も長期間、なかったことにされたPTSDが、今3世にとっての正体不明の生きづらさにつながっている。同じ傷を次の世代に渡さないために、暴力が繰り返された理由を考え続けることが必要だ」。そう訴える。



