戦争の悲惨さを新聞で伝承 古河・吉田さんが終戦時紙面を自宅公開
戦争の悲惨さを新聞で伝承 古河・吉田さんが紙面公開

茨城県古河市の茶農家「吉田茶園」5代目の吉田正之さん(83)が、祖父から受け継ぎ保管してきた終戦前後の読売報知新聞を自宅で公開している。原爆投下後の広島市の惨状や特攻隊出撃の様子を伝える貴重な史料で、戦争の悲惨さを当時の新聞から読み取ってもらいたいという思いからだ。

原爆投下直後の広島を報道

読売報知は、戦中の新聞統制により読売新聞と報知新聞が一時合併し、1942年8月から46年4月まで発行された。吉田さんの保管する新聞のうち、広島への原爆投下から3日後の45年8月9日付紙面は、「B29 新型爆弾を使用 広島に少数機 相当の被害」との見出しで、火災や家屋倒壊の状況を報じた。同20日付には、焼け野原となった広島市街の写真を大きく掲載し、「広島市の惨状 暴虐なる敵原子爆弾の投下により瞬時にして焦土と化し煙突一本のみ残った広島市街の一部」との説明文を添えた。

また、爆弾を搭載した飛行機で敵艦に体当たりする特攻隊の記事や写真も多く、8月14日付には編隊を組んで飛ぶ特攻機の写真が掲載されている。紙の供給不足で当時の新聞はほとんどが表と裏の2ページだったが、その写真は表の中央あたりに大きく扱われている。

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祖父から託された新聞

これらの新聞は約60年前、大学を卒業して家業を継いだ吉田さんが祖父から託されたものだ。祖父は新聞の束を差し出し、「大事に取っておけ」とだけ言ったが、吉田さんは「しっかり読んで戦争の悲惨さを学べ」という意味だったと理解している。

終戦の年、吉田さんは3歳で、米軍機の編隊を見たり防空壕に逃げたりした記憶はあるものの、戦争の怖さや悲惨さは実感として残っていなかった。しかし、当時の新聞を読むことで戦争の実態を改めて知ることができたという。

多くの人に閲覧してほしい

読売報知が28日分、ほかの新聞も18日分あり、長く保管するため1日分ずつ透明のビニール袋に入れて自宅の蔵にしまってきた。時々取り出して目を通すうちに、祖父が残してくれた貴重な史料を大勢の人に見てもらいたいという思いが募った。

吉田さんは「終戦から100年たったら公開しよう」と考えていたが、80歳を過ぎて「元気なうちに」と公開を決めた。「戦争を知らない人たちが、生々しい記事と写真で当時の惨状を理解してくれれば」と話している。閲覧の問い合わせは吉田さん(080・6772・1718)へ。

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