太平洋戦争末期、米軍は日本の兵士や国民の戦意喪失、反戦機運の高まりを狙って、飛行機から「伝単(でんたん)」と呼ばれるビラを大量にまきました。
「紙の爆弾」と呼ばれた伝単の内容
伝単には「この都市が米空軍の次の攻撃目標です」「日本国民に次ぐ‼ 即刻 都市より避難せよ」「日本軍部指導者諸君 諸君は、日本の国土、海域及び上空を防衛し得ると日本国民を信服させる事が出来るだろうか」「昨日の敵は今日の友」などと書かれていました。
伝単は「紙の爆弾」とも言われ、手にした人が衝撃を受けるように、文面や図柄も工夫されました。「落下傘ニュース」という新聞形式の伝単もあり、日本人捕虜が作成に関わりました。
伝単をめぐる当時の国民の反応
伝単を拾った場合は、すぐに警察に届け出ることが義務づけられていました。ただ、隠し持って、書かれていた内容を広める人もいたようです。
「謀略への処置」という見出しが立った1945年(昭和20年)年8月3日の投書には「ビラは読むな、届出よ、罰するぞ、と頭からすべてを覆い隠そうとしても魔性の波は防ぎきれない」と書かれ、政府に対して伝単の内容を公表して意図を明らかにするよう訴えています。別の投書には「上から落ちてくると拾いたくなるのが人情の弱点だ。全国に地域、職域単位でビラ清掃班をこの際組織したらどうであろう」と伝単の拡散を防ぐ方法を提案しています。
日本側の対応
日本も陸軍参謀本部に伝単を扱う部署を設置し、中国で反共を訴える伝単をまいています。



