被爆3世メグさん、ロンドンから広島へ 伝承者目指し祖母の思い継ぐ
被爆3世メグさん、伝承者目指しロンドンから広島へ

被爆3世のメグこと八幡恵さん(23)は、祖母の被爆体験を世界に伝えようと、ロンドンから広島に移り住み、広島市の被爆体験伝承者養成研修に通っている。被爆者なき時代が迫る中、核廃絶への思いを次世代に紡ぐ新たな取り組みが始まっている。

祖母の被爆体験を知る

恵さんは英国人の父と日本人の母を持ち、ロンドンで育った。学校で学ぶ原爆についての知識は「原爆投下で戦争が終わった」程度で、級友と話題になることもなかった。しかし、毎年夏休みに広島県府中町に住む祖母・照子さん(89)を訪ねた際、照子さんはよく平和記念資料館や原爆ドームに連れて行ってくれたという。

照子さんは81年前に広島で被爆したが、自身の体験を語ることは避けてきた。「思い出すとつらい」からだ。しかし2022年、恵さんが19歳の夏、照子さんから「私のサポートをしてくれない?」と頼まれた。照子さんは2013年にNGOの事業で世界を巡る船旅に参加し、被爆体験を語り始めていた。帰国後、海外の人に自分の言葉で伝えたいと英語を学んでいた。

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恵さんは快諾し、被爆体験の英訳チェックや証言の場への付き添いを始めた。サポートを通じて、照子さんの体験の詳細を知った。1945年8月6日午前8時15分、8歳だった照子さんは爆心地から約2.5キロの自宅の裏庭にいた。自身と家族は無事だったが、通っていた小学校には惨状が広がり、悲鳴やうめき声が響き、校庭では遺体が焼かれていた。

伝承者事業への挑戦

恵さんは昨年6月、広島市の伝承者事業を知った。これは被爆者の代わりに証言活動を担う人材を育てるもので、2012年度に始まった。約2年かけて被爆者の体験を原稿にまとめ、語り部としての話し方などを学ぶ。昨年12月に英国の大学院を卒業し、今年6月下旬から照子さんの家に身を寄せて研修に通っている。

海外から研修を受けるのは珍しい。市の被爆体験継承担当課長、坂本優治さん(52)は「平和への思いを海外に広めようとしてくれるのはとても心強い」と期待を寄せる。

照子さんは「いつか私が語れなくなる日が来ても、メグがいるなら安心できる」と孫の姿に目を細める。恵さんは「グランマみたいに、もっと深く自分の言葉で語りたい」と語り、バトンは確かに受け継がれようとしている。

長崎では被爆2世が父の遺志を継ぐ

長崎市の被爆2世、小峰英裕さん(52)は今夏、亡き父・秀孝さんの被爆体験をつづった原稿の推敲を重ねている。「死ぬ直前まで語り部だったおやじの遺志を自分が継がないと」。今秋の語り部デビューを目指す。

秀孝さんは4歳の時、長崎の爆心地から約1.5キロの自宅近くで被爆。両手足、腹部にひどいやけどを負い、右足はケロイドで変形し、同級生から「ガネ」と呼ばれいじめられた。理髪店を営む傍ら、50歳頃から国内外で語り部活動に取り組んだ。小峰さんは長く関東で暮らし、2022年に長崎へ戻り、父の送迎を続けたが、講話を聞くことは一度もなかった。

秀孝さんは日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞授賞式を目前に控えた2024年11月、83歳で亡くなった。死後、小峰さんは映像で初めて父の講話を聞き、いじめや差別、自殺未遂、離婚など全てをさらけ出した姿に胸を打たれた。約7000字の原稿を完成させ、「資料館では学べない、父という被爆者がどう生きたかを知ってほしい」と語る。

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