滋賀県大津市にかつてあった坂本城は、宣教師ルイス・フロイスに「明智の城は豪壮華麗で、信長の安土城に次ぐ名城だった」と評されている。明智光秀が琵琶湖畔に築いたこの城は、大天守・小天守を持つ壮麗な水城だったという。
京都の公卿である吉田兼見が残した日記『兼見卿記』には、坂本城が信長の安土城にさきだって「天主を持つ城」であったことが記されている。
しかし、そんな名城だったにもかかわらず、今は琵琶湖の水位が大きく下がったときに、湖底から石垣がわずかに姿を現すのみという幻の城となってしまった。
大きな役割があった「坂本城」
元亀2年(1571年)、光秀は織田信長から坂本城を築くよう命じられた。信長は比叡山焼き討ちの直後、比叡山延暦寺を監視しながら、琵琶湖の制海権を掌握しようとしたようだ。坂本城を築城して、安土城や長浜城とともに琵琶湖ネットワークを形成することで、湖上輸送された物資を京によりスムーズに運ぶことができる。信長のビジョンから、坂本城の城内には舟入があり、輸送船が直接乗り入れる構造だったという。信長政権下でこれほどの城を任されることになった光秀は、まさに出世頭だったといえる。
坂本城を光秀がどのように活用したかについては、天正3年(1575年)に坂本城を訪れた薩摩の武将・島津家久の日記がその一端を伝えている。
幻の城とされるワケ
現在の坂本城は、琵琶湖の水位が大きく下がったときにのみ、湖底から石垣が姿を現す。かつての豪壮華麗な名城は、湖底に眠る幻の城となった。その理由については、歴史的な変遷により城が失われ、湖面の変化などが影響したとみられる。
2024年に発見された石垣
2024年には、坂本城の石垣が発見された。この発見により、幻の城とされた坂本城の実像が再び注目を集めている。



