乗れなかった船と渡れなかった橋がつないだ命
乗れなかった船と渡れなかった橋がつないだ命

大正11年生まれの父は、先の大戦では満州で戦っていた。南方戦線が厳しくなり、父の部隊にも応援要請が来た。ところが、出発の朝、あろうことか、父が付き従っていた上官が寝坊した。父たちは、予定していた船に乗り遅れた。

目の前で沈んだ船

次の船で追いかける父たちの目の前で、その船は、父の言葉を借りれば「轟沈(ごうちん)」した。父たちの船は急きょ進路を変えた。その後、父は新潟で終戦を迎えた。

橋が落ちて逃げ延びた母

一方、昭和2年生まれの母は、家族とともに、和歌山で大空襲にあった。炎に追われ、和歌山城の方へ逃げようとしたその時、目の前で橋が落ちた。母たちはとっさに引き返したが、先に城の方へ逃げた人の多くは、焼夷弾で命を落としたそうだ。

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生かされた命の物語

父は、乗るはずだった船に乗れなかった。母は、渡るはずだった橋を渡れなかった。もし、上官が寝坊しなかったら。もし、橋が落ちなかったら。長兄も、次兄も、姉も、私も、この世にはいなかった。

父も母も、その話を武勇伝のようには語らず、ただ「あれで生かされたんや」と、遠くを見つめるようにつぶやいた。その言葉の向こうには、決して帰ることのなかった人たちの命がある。私たちきょうだいの命は、乗れなかった船と渡れなかった橋の向こうから来た。杉中康平(65) 堺市美原区

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