2003年秋、北海道東部の根釧台地にある牧場で、体重200キロのジャージー牛がヒグマに襲われ、その遺骸は土饅頭のように埋められて隠されていた。この事件をきっかけに、単独で200頭以上のヒグマを仕留めた「令和最強」の異名を持つ赤石正男を筆頭とするハンターチームが、集団猟法「巻き狩り」で巨獣を追うことになる。
夜明け前の緊急連絡
夜も明けきらぬ午前5時、支度をしていた赤石の携帯電話が鳴った。「アカか?ヒグマが忠類川沿いの森に入っていった新しい跡を見つけたぞ」と、猟仲間の小野田廣利からの連絡だった。小野田は何度もヒグマの巻き狩りで一緒に山に入っており、その「勢子」としての能力は赤石もよく知っていた。勢子には、クマザサの生い茂る山中を5キロ、10キロと歩き続ける体力と、銃を持たずとも獣を追い詰める胆力が求められる。特に、足跡ひとつからヒグマの進む方角や歩幅を推測し、「止め足」を見破る眼力が不可欠である。
「止め足」とは、追跡に気づいたヒグマが追跡を振り切るために自分の足跡に施す偽装工作だ。例えば、自分の歩いてきた跡を崩さないようにそっと後戻りし、横跳びして待ち構え、追跡してきた人間の背後を取る。あるいは、あたり一帯に足跡をつけまくり、どれが最新かわからなくしたうえで、跳躍力を活かして足跡のつかない草の上に跳び、足跡を消すこともある。この「止め足」に引っかかると、待ち伏せしていたヒグマに気づかず反撃されて命を落とすこともある。小野田はいつも勢子を自ら買って出る男で、小柄で細身ながら山の木々の間を水のようにすり抜け、爆竹ひとつで巨獣を追い立てた。実際、ヒグマを追わせたら彼の右に出る者はいなかった。
包囲網の布陣
小野田との電話を終えた赤石を助手席に乗せ、著者の藤本靖はハイラックスのハンドルを握って集合場所へ向かう。根室海峡の空は黒から濃紺へとわずかに色を変え、晩秋の薄明かりが東の地平を微かに染め始めていた。赤石は頭の中で今日の配置の算段をつけている。個々の射撃の腕前や経験値を考慮し、それぞれを最適な待ち場へ送る必要があるのだ。
町道に差しかかると、遠くにヘッドライトが揺れていた。道路脇でヘッドライトを点けている車のそばにハイラックスを滑り込ませると、やはり小野田の車だった。小野田と話しているうちに、今日の巻き狩りのメンバーが続々と集まってくる。仕切り役の斉藤がメンバーたちに次々と指示を出し、それぞれが散っていく。2人でペアを組み、ヒグマを逃さないよう広い輪で山を囲むような布陣を敷く。
小野田が見つけた新しい足跡は、昨日とは反対側、すなわち忠類川沿いの木立へ向かっていた。ササの上に雪がかぶさり、白一色の世界の中で、ヒグマの通った筋だけがササの葉を押し分けて現れ、森の中へまっすぐ延びている。勢子に追われたヒグマは、必ず身を隠せる木立を選び、谷を抜け、崖を嫌い、わずかな陰を頼りに逃げる。しかし、この一帯は赤石にとって自宅の庭同然であり、ヒグマがどの斜面を通り、どの沢を渡るか、その答えはすでに頭の中に見えているようだった。
死闘の幕開け
巻き狩りが始まると、勢子たちがヒグマを追い立て、待ち構える射手たちが出口で仕留める。300キロの巨体が宙を舞い、ヒグマの咆哮が響き渡る中、ハンターたちは経験と勘で潜伏先を探す。あてが外れたと思いきや、ヒグマの巨体がネコのように跳ねる瞬間もあった。背後から突進してくるヒグマに対し、赤石たちは冷静に対処し、とどめを刺す。この死闘は夜明けから日没まで続き、チーム一丸となって巨獣に立ち向かった。
本稿は、藤本靖『羆撃ちに人生を賭けた男』(山と溪谷社)の一部を再編集したものである。



