舞鶴引揚記念館(舞鶴市)で来館者にシベリア抑留の過酷さなどを説明している「学生語り部」の6人が、8月1日から抑留の舞台となったウズベキスタンとキルギスを初めて訪問している。戦後81年。戦争を知らない若い世代が、何を感じ、何を学び、語り部活動に生かすのか。高校3年の3人が訪問を前に、読売新聞の取材に思いを語った。(佐藤毅)
参加のきっかけはそれぞれに
東舞鶴高(舞鶴市)の石角晴花さん(17)は、小学6年の時に同市の平和祈念式典に参加したことで「若い世代が語り継ぐことの重要性を感じた」と活動に参加するようになったきっかけを話す。日星高(同)の池田実奈さん(17)は、出身の市立若浦中の同級生の多くが養成講座を受講すると聞き、「みんなやるからやってみようかな」という軽い気持ちだったと振り返る。
もう1人の福知山成美高(福知山市)の照屋幸子さん(17)は、先輩にあこがれて活動に参加した。活動をする中で、来館者の反応や期待に触れたことが、訪問事業に手を挙げる要因となったという。「この大切な歴史を曖昧にせず、若い世代に伝えていかないといけない」との思いに至ったとする。
現地で学び、感じる
3人は訪れる予定の施設などについて6月から学びを深め、7月26日に記念館で行われた壮行会で発表した。
石角さんはキルギスのタムガ村について説明した。戦後、人口800人の村に連行されてきた125人の日本人が、村人らとともに療養所を建設。その建物は現存し、所内の平和センターには日本人抑留に関する資料が残っている。現地では日本人とともに働いた人の子世代と交流する予定で、「実際に自分の目で見ていろんなものを学びたい」と意気込みを語った。
池田さんはウズベキスタンの首都タシケントにある日本人抑留者資料館について説明。当時の写真が残る同館は日本人の手によるものではなく、現地で電器関連会社を経営していたジャリル・スルタノフ氏(今年2月死去)が自費で開設したことを紹介した。スルタノフ氏は2016年に舞鶴市を訪れて交流の礎を築いた。池田さんは同氏の孫と交流予定で「私たちの語りを良くするためにも当時の抑留者の思いに触れられたら」と話した。
照屋さんは日本人抑留者が手がけたナボイ劇場について語った。過酷な環境にも日本人の誇りを失わず、誠実さを持って建てられた劇場は1966年に同国で発生した大地震でも倒壊せず、多くの人の避難場所になった。「どんな思いで建設に関わったのか、その空気感を肌で感じたい」と思いを口にした。
帰国後の語りに生かす
3人はこれまで戦争体験のない自分たちが戦争を語ることにハードルがあることを感じてきたという。石角さんは、「これから両国を訪れて見るもの、聞くものは紛れもない私たちの体験。これを帰国後に使うことで、より説得力のある語りができるんじゃないかな」と3人の思いを代弁した。
帰国予定は7日。



