三菱マヒンドラ農機(松江市)が農業用機械(農機)の生産・販売事業から撤退する9月末まで2か月を切った。関連会社を含む従業員の再就職とともに、日本の農業を支えてきた三菱マヒンドラとその企業城下町の技術継承は大きな課題で、関係者の模索は続く。
従業員に衝撃、退職相次ぐ
「事業を終了する」。三菱マヒンドラの農機製造を担う関連会社「リョーノーファクトリー」(松江市)で3月2日、集められた従業員の前で、三菱マヒンドラの齋藤徹社長のビデオメッセージが流された。30年以上勤めた50歳代男性は「『がつん』と頭を殴られるような衝撃を受けた」といい、周りを見渡すと、同僚もみな肩を落としていた。
三菱マヒンドラはこの日、国内外の売り上げ業績の悪化などを理由に9月末をめどに事業から撤退することや、関連会社を含む従業員約970人のうち、補修用部品の供給や製品保証事業の従業員約50人を除く約920人に合意退職を促すことを発表した。
再就職は4割弱
男性は20歳代の時、三菱マヒンドラの前身「三菱農機」に中途入社した。主に部品製造を担い、その後リョーノーファクトリーに転籍。「仲間意識が高く、とても働きがいのある職場だった」が、昨年末から発注が少なくなり、同僚の間で「休業に入るのではないか」と噂されていた。
4月下旬、リョーノーファクトリーではささやかなセレモニーが開かれ、会社側から従業員に対し、事業撤退に対する説明と、これまで業務に励んでくれたことへのねぎらいの言葉が贈られたという。関連会社では段階的に従業員が退職している。男性も5月末で退職したが再就職先は決まっていない。
県や松江市は、従業員の再就職支援のために合同説明会などを開催しており、市によると、県内事業所で働いていた385人のうち、7月23日現在で143人(37.1%)の再就職が決まった。しかし、関連会社に勤める別の50歳代男性は「新卒採用が本格化する中、年齢の高い自分に就職先が残っているだろうか」と不安を口にする。
企業城下町の技術継承
事業撤退の影響は、三菱マヒンドラグループに部品などを納めてきた同市東出雲町の企業城下町にも及んでいる。1956年創業の金属加工品メーカー「野原熱錬工作所」もその一つだ。山陰地方では初の高周波焼き入れ装置を導入するなどして、コンバインやトラクターなどに使う部品を年間50万個以上製造する。今回の事業撤退により、売り上げ全体の3割の損失を受けるという。
ただ、数年前から、三菱マヒンドラグループからの発注数は減少していた。新規の受注拡大を狙うため、2021年に同町の機械加工業「ヤスイ」とともに共同会社「松江クラフトマン」を設立。部材の熱処理とメッキ加工を一貫して請け負う協業体制を築いた。
野原熱錬工作所の金崎芳男社長(80)は、今回の事業撤退について「島根の製造業界は大きな岐路に立っている」と話す。「三菱マヒンドラとともに築いた企業城下町の技術は世界レベル。職人も会社も、農家の熱い期待に応えていくことを諦めてはいけない」と力を込めた。
三菱マヒンドラ農機の歩み
三菱マヒンドラ農機は1914年に佐藤忠次郎(1887~1944年)が「佐藤商会」として創業。稲の穂先を刈り取りながら脱穀する「自脱型コンバイン」としては業界初の乗用型を発売するなど、農業生産現場を支えてきた。2015年には、トラクター販売世界最大手の「マヒンドラ&マヒンドラ」(インド)と資本提携で合意し、現在の社名になった。25年3月期の売上高は約380億円と赤字だった。



