宗谷海峡を望む稚内公園(稚内市)の「南極観測樺太犬訓練記念碑」のそばにある供養塔で8月1日、毎年恒例の慰霊祭が営まれた。年月が過ぎ、稚内が樺太犬の訓練地だったことを知らない子どもも多い中、慰霊祭を企画する市子ども会育成連絡協議会の木村裕一会長(63)は「樺太犬の偉業、稚内と南極の関わり、歴史などを伝えていきたい」と話す。
訓練の始まりと南極観測への道
稚内公園に樺太犬四十数頭が集められたのは1956年3月。日本初の南極観測に備え、雪上車のみでは物資運搬などに不安があるとして、輸送を担う犬ぞりを引っ張る精鋭を訓練するためだった。初代南極観測船「宗谷」が出航したのは同年11月8日。観測隊員に加え、訓練を経て選抜された樺太犬を含めて22頭が乗り込んだ。
第1次越冬期間(57年2月~58年2月)で、雪上車の走行距離が1200キロだったのに比べ、犬ぞりは1600キロも走った。骨太で力があり、寒さに強くて従順な樺太犬は大活躍した。
タロとジロの物語と記念碑の建立
悲劇が訪れたのは58年2月だった。第2次越冬隊が氷海と悪天候で観測を断念し、15頭が置き去りになる。ところが、第3次越冬隊が翌年1月に現地に着くと、稚内生まれの兄弟犬タロとジロが生きていたことがわかり、感動の物語が日本中に知れ渡った。樺太犬の功績を後世に伝えようと60年7月、訓練記念碑が設置された。
その後、雪上車の大幅な性能向上により、南極観測で犬ぞりは第4次越冬期間(60年2月~61年2月)を最後に使われなくなった。樺太犬も他種との交配が進んだことなどにより、70年代に純血種はほぼ絶滅したとされている。
現在も続く樺太犬の記憶
樺太犬の活躍などを受けて市では、「稚内みなと南極まつり」や「全国犬ぞり稚内大会」が続けられ、タロとジロが描かれているマンホールのふたまで登場している。「南極展示コーナー」がある市青少年科学館の西達矢・市教育委員会科学振興課主査(51)は、「子どもたちに稚内と南極とのつながりを知ってもらい、そこから科学、未知の世界にも関心を持ってもらいたい」と訴える。
日本の南極観測は今年で70周年。市では現在の第67次南極地域観測隊員として活躍する鎌田隆雅さん(35)を含め、これまでに職員3人が観測隊員となっている。有形無形の多数の「財産」を作り出してくれたことが、樺太犬の最大の功績かもしれない。(阪本高志)
稚内公園は、JR稚内駅から徒歩25分程度。第2次世界大戦直後に樺太で起きた悲劇を伝える「九人の乙女の碑」、樺太で亡くなった人を悼む「氷雪の門」などもある。国内最北端の夜景スポットでもあり、公園は「日本夜景遺産」に認定されている。



