「こち亀(こちら葛飾区亀有公園前派出所)」の物語に登場する「アリの街」は、実際に東京・台東区に存在した。終戦間もない1950年から約10年間、空襲などで家や家族を失った人々ら100人ほどが、言問橋から上流へ約200メートルの一帯で共同生活を送っていた。
隅田公園の案内板が伝える記憶
東京スカイツリーがよく見える隅田公園の一角に、金属製の案内板がひっそりと立つ。そこにはかつて実在した「アリの街」が紹介されている。作中で両さんが「まったく面影も残って無いな」と語るように、この地に当時を伝えるものは案内板以外に見当たらない。
住民たちは、アリのように勤勉に働くという意味を込めて「蟻の会」を作り、廃品回収で生計を立てていた。作中で両さんは「人から物を恵んでもらうのでなく 自立したい人が集まったわけだ」と語る。
「アリの街のマリア」と呼ばれた女性
両さんらが捜した少女とは別人だが、「アリの街のマリア」は実在した。大学教授の娘でカトリック信者の北原怜子(1929~58年)だ。洗礼名はエリザベト・マリア。上野駅地下道の戦災孤児らを支援していたゼノ・ゼブロフスキー修道士からアリの街のことを聞き、自らも廃品回収をしながら子どもたちの世話をした。
結核を患い、28歳で亡くなった後、松竹が映画化するなどして話題になった。病床の北原が憂慮していたのはアリの街の移転問題だった。法律上は不法占拠の状態だったため、都は代替地として江東区の「深川8号埋立地」を提示した。
移転と教会の十字架
住民たちは都の要請を拒み続けたが、都は58年、移転先の土地の代金として支払いを求めた2500万円を1500万円に減額。ドイツのケルン大司教区が代金を肩代わりすることになり、60年、移転に従うことになった。
移転後、住民はちりぢりになり、アリの街も北原も世間から忘れ去られた。かつてアリの街にあった教会も、住民と共に埋め立て地に移され、現在は潮見教会との名前でJR潮見駅近くに立っている。聖堂の名は「蟻の町のマリア」。教会には、アリの街で使われた約70年前の木製の十字架(縦約1メートル90)が残る。
信者の小川薫さん(68)は「まるでうそから出たまことのような話ですが」と十字架にまつわる逸話を語る。十字架は元々、占領軍と関わりがあるように見せて立ち退きを避ける「厄よけ」としてアリの街に掲げられた。当初は信者もいなかったが、北原と交流するうち、洗礼を受ける人が出てきたという。
北原は2015年、日本人女性で唯一となる「尊者」の称号をカトリック教会から授与された。命日の1月23日前後には毎年ミサが開かれ、今年は約30年間手つかずだった十字架が祭壇前にささげられた。
記憶を後世に伝える取り組み
台東区で生まれ育った北畠啓行さん(86)がアリの街の存在を知ったのは十数年前。「同じ下町に生まれ育ちながら、何も知らず、深い後悔を覚えた。知れば知るほど、事実を埋もれさせてはならないという思いが募った」と振り返る。
17年に「アリの街実行委員会」を設立し、約1000筆の署名と共に区議会へ陳情。21年、区が設置したのが隅田公園にある案内板だ。北畠さんは言う。「アリの街の物語は実話であり、区の歴史的遺産である。風化させることなく、次の世代に伝えていく義務がある」