太平洋戦争終結から81年となった15日、1945年7月4日の高知空襲で一命を取り留めた久川千代子さん(97)の講演が高知市の県人権啓発センターで開かれた。65歳から本格的に語り部を始め、この日で116回目となる。
「種まきを続けたい」と久川さん
久川さんは「戦争のない平和な世の中のため、種まきを続けたい」と語った。当時、高坂高等女学校生で、高知市役所に勤める姉と同市本町にある高野寺に下宿していた。灯火管制のため、空襲の夜は押し入れに豆電球を引き込み、汗をかきながら試験勉強をしていたという。
焼夷弾の直撃と避難の記憶
姉にせかされ防空壕に避難し、救急袋を取りに戻ろうとすると、「私を狙うように」焼夷弾が下宿を直撃し、炎に包まれた。壕内は熱と煙で息苦しくなり、もんぺに火が付いた。実家の母親の姿が頭をよぎり、意識が遠のいた。
「生かされている」と語る
8時間ほどして意識が戻り、炊き出しの握り飯を手にした。久川さんは「今はおいしいものはいくらでもあるけれど、この時が一番おいしかった」としみじみ語った。気道のやけどで声は1か月出ず、手足のやけどはなかなか治らなかった。
子どもらが目を皿のようにして聞く姿に、「生かされている」という久川さんは講演後、「戦争はみんなが巻き込まれる。それが一番悲しい」と話した。



