NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第30回(8月9日放送)で、秀吉の転機として清洲会議が描かれる。一般的には、秀吉が三法師を担いで柴田勝家を出し抜き、天下取りへ踏み出した会議とされてきた。しかし実際はどうだったのか。ルポライターの昼間たかし氏が、文献などから史実をひも解く。
江戸の軍記物がつくった「清洲会議の定番」
清洲会議は、これまで多くのドラマで描かれてきた。三谷幸喜の小説『清須会議』や、宮下英樹の漫画『センゴク』第3部『センゴク一統記』でも多くのページが割かれている。今回のドラマでは、秀吉が「信長の想いを継ぐ」という目的と共に手練手管を用いて、会議の主導権を握っていく。
しかし、この会議には以前から固定したイメージがあった。それは、秀吉が勝家を出し抜いて、会議の主導権を握り、信長の後継者や領地配分を欲しいがままにしたというもの。多くの歴史愛好者は、勝家は信孝を推し、秀吉は幼い三法師を担ぐ。膠着した評定に、秀吉が三法師を抱いて現れ、重臣一同が平伏する――というシーンを思い浮かべるだろう。
実のところ、これは後世の創作が積み上がって出来上がったイメージである。江戸期成立の軍記物『川角太閤記』には、秀吉が三法師を抱いて上段に上がり、まるで自分が主君であるかのように礼を受けたと記されている。しかし、これも後世の創作の可能性が高い。
三法師が跡を継ぐのは既定路線
実際の清洲会議では、三法師が跡を継ぐことはすでに決まっていた。問題は、その後見役や名代を誰が務めるかであった。信長の息子である信雄と信孝の間で、どちらが名代にふさわしいかが争われたのである。
信雄は信長の次男で、血の近さでは勝る。一方、信孝は三男だが、四国征伐などで功績を挙げていた。この「血の近さ」と「功績」のどちらを重視するかで、意見が分かれた。
清洲会議でもっとも得をした「池田恒興」
この会議でもっとも得をしたのは、秀吉ではなく池田恒興だったとされる。恒興は信長の乳兄弟であり、山崎の合戦で功績を挙げていた。この「乳兄弟の紐帯」と「実功」が評価され、会議後に大きな領地を得た。
清洲会議の真実は、後世に作られたイメージとは異なり、より複雑で現実的な駆け引きがあったことがうかがえる。



