6歳で死別した父の話を母はよくしてくれた。特に心に残っているのは、日中戦争に出征したときの話だ。
戦場での体験
「突撃」の命令で敵に立ち向かった一群に父はいた。雨のように弾丸が飛んでくる中の進軍、横の兵隊が次々倒れていく。自分はまだ生きている…と思った瞬間、父は被弾した。三日三晩意識不明の後、野戦病院で覚醒した。その日は父の誕生日だったという。
すさまじい戦場体験で放心状態になり自暴自棄になっていた頃、中国の厳しい冬の凍てつく土に草が芽吹くのを見て、再度生きる力をもらったという。その戦いで父は左手の親指をなくした。
戦後の歩み
その後母と出会い私たちが生まれた。傷病兵で大東亜戦争には出征できなかったので、好きな勉強を再開し、母と事業に参加するため満州へ渡ったが、終戦後再び死線を越える体験をして引き揚げてきた。
ごはん茶碗の糸底を4本の指で挟み、食事していた父の姿を覚えている。父の遺したノートには筆記体の英語も交えたきれいな字が並んでいた。手元には父の和英辞典が今もある。
平和への思い
言葉は大切な心の懸け橋だという思いで、子供たちに英語を教えてきた。父の誕生日は8月25日。平和の尊さを切実に思う8月です。弱気になったとき、魂は不滅で、今も父がそばにいて見守ってくれている気がします。



