広島、長崎の原爆被爆者でつくる全国組織「日本原水爆被害者団体協議会」(被団協)が、今月10日で結成70年となる。全国の被爆者は約30万人(2000年前後)から現在約9万人に減少。被団協は1年かけて解散か、被爆2世や3世に引き継ぐかを検討するという。2024年のノーベル平和賞受賞を経て、「被爆者なき時代」をどう迎えるのかが問われている。
森滝市郎氏の遺志と歩み
被団協の初代理事長を務めた森滝市郎氏(1994年死去)は、ヒューマニズムに立脚した信念で運動を支えた。次女の春子さん(87)は、父が被爆した子ども時代の記憶を語る。「小学生の頃、広島市内の川で小さな子どもの頭蓋骨を拾い、父に渡すと大声で泣き出した。失われた命と、残された人たちのために歩む原点を見た」と振り返る。
森滝氏は、プレスコードの時代から被爆者支援を訴え、第五福竜丸事件後の原水爆禁止運動を先導。ガンジーの非暴力に傾倒し、核実験のたびに座り込みの抗議を500回以上続けた。春子さんは2001年に反核団体を設立し、各国で核廃絶を訴え、世界の核被害者を招く国際会議を2度開催した。
分裂の歴史と統合への模索
原水禁と被爆者の運動は分裂の歴史をたどってきた。1963年の原水爆禁止世界大会で分裂が決定的となり、広島では翌年に県被団協が分裂。現在も森滝氏の流れをくむ「県被団協」は日本被団協の構成団体だが、共産党系は「オブザーバー」のままで、60年以上併存が続く。
2015年に共産党系の県被団協理事長に就任した佐久間邦彦さん(81)は「許される核実験などないはずで、今となっては分裂が間違いだったと思う。両組織が先細りする今、小異を捨てて大同につくべきです」と語る。日本被団協の検討に合わせ、この1年で統合も視野に内部で議論したいという。
「タテとヨコの継承」と世界の現状
広島市は2012年度から「被爆体験伝承者」の養成を続け、現在約260人が活動し、うち約30人は英語も使う。7月中旬、広島平和記念資料館で行われた英語講話には約15人の外国人が参加。米国の中学教師マット・トマスさん(27)は「『戦争終結に原爆が必要だった』という国内の認識は若者世代で薄れつつあるが、原爆による市民の犠牲については無知だ。被爆者の物語や核の怖さを伝えなければ」と話した。
世界では今、森滝氏が批判した「力の文明」が幅を利かせる。米紙ニューヨーク・タイムズは被爆80年を伝える記事で、被団協へのノーベル賞授与が「核兵器なき世界を想像できた時代の残像に映る」と書いた。それでも、昨年度の資料館入館者数は258万人、外国人の割合は36%で、いずれも過去最高。時代は動いている。
被爆者と継ぐ人たちの言葉や物語をタテへヨコへと伝える営みは、終わりのない尊さを持つ。81回目の原爆忌を迎え、その思いを強くする。



