平戸・生月戦跡研究会、米軍機攻撃の空襲映像を発見 17人戦死の宮ノ浦空襲を特定
平戸・生月戦跡研究会、米軍機攻撃の空襲映像を発見

戦後長く埋もれていた長崎県平戸市の島々に残る戦争遺跡を調査する「平戸・生月戦跡研究会」(18人)が、1945年6月7日に宮ノ浦湾で発生した空襲の映像を発見した。この空襲では、海軍の特設駆潜艇が米軍機の攻撃を受け、乗員17人が戦死した。会長の田中まきこさん(54)が活動内容と狙いを語った。

戦跡調査のきっかけと初期の発見

田中さんが戦跡に着目したのは2021年の冬。生月島北部の山中で隠れキリシタンのほこらを探していた際、地元住民から「穴がある」と聞き、探し当てたのが最初だった。その穴は内部が迷路状で、壁にノミで削った跡や階段が残っていた。大分県で開かれた空襲・戦跡九州ネットワークの会合で発表し、敵の上陸を想定した陸軍の地下壕と判断した。

平戸では隠れキリシタンや捕鯨、三浦按針の研究は進んでいたが、戦跡はほとんど注目されていなかった。田中さんは当初2、3人で活動していたが、2024年に研究会を設立。戦争遺跡保存全国ネットワークや九州ネットワークに参加し、知識を蓄えた。

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調査手法と主な発見

研究会は平戸市全域を対象に、砲台や潜水艦侵入を防ぐ防備衛所、特攻艇「震洋」の関連遺構を調査。手がかりはアジア歴史資料センターや米軍の一次資料、高齢者からの聞き取りだ。現地調査で得た情報は3D保存し、劣化による形状変化に備えている。

最近の大きな発見は、1945年6月7日の宮ノ浦空襲の映像だ。米軍機から撮影されたもので、沖縄県公文書館の資料を調べていた会のメンバーが地形から気付いた。海上調査と志々伎山の特徴的な地形、軍の戦闘詳報から特定した。

活動の意義と今後の展望

田中さんは「戦争体験者からの聞き取りが難しくなる中、戦跡を調べるのは声なき声を聞くこと。戦跡から何があったかを読み取る力を付けたい」と語る。目的は「この地で生活し、戦争に向き合った人々の土地の記憶を掘り起こし、とどめること」。小学校での講話などを通じ、子どもたちが興味を持った時に十分な記録を渡せるよう調査を進める。

7月17日午後1時半から、平戸市野子町の宮ノ浦漁民研修センターで宮ノ浦空襲の映像を公開する。問い合わせは野子地区まちづくり運営協議会(0950-27-1613)へ。

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